【なつかしのWii Uタイトル】ゾンビU/クソゲーと良ゲーの狭間で

 

いいか、撤退するのも勇気のうちだからな

 

生きるか。ゾンビか。

 

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出会い

2012年12月8日。

任天堂の家庭用ゲーム機「Wii U」の発売日だ。

このWii U本体と同時発売となったソフトは、11タイトル。

New スーパーマリオブラザーズ U

モンスターハンター3(トライ)G

鉄拳タッグトーナメント2 Wii U エディション…

それら誰もが聞いたことのある有名タイトルひしめく中、

ひとつの気になるタイトルがそこにはあった。

 

「ゾンビU」。

 

は? ゾンビU? どういうこと?

ゾンビは分かるけど、「U」を付ける必要あるか?

 

しかし僕は気づいたらこのソフトをカートに入れていた…

 

評価について

 

このゲームの評価は、非常に難しい。

人によってはクソゲーだと切り捨てるだろう。

しかし、発売から6年近く経とうとしている本作、

なぜか定期的に遊びたくなる魅力がある。

 

あえて評価するとしたら

「限りなく、クソゲーに近い良ゲー」。

 

 

ソフト概要

ジャンル:サバイバルホラーアクションアドベンチャーゲーム

プレイ人数:1~2人

CERO:D(17歳以上対象)

 

 

 

特徴

このソフトの一番の特徴は、WiiUゲームパッドを使った操作方法。

ゲーム内で操作するキャラクターは、

プレッパーパッドと呼ばれるパッドを持ってサバイバルする。その用途は多彩。

・マップ閲覧

・アイテムの使用や管理

・生き物(ゾンビ含む)のスキャン

・機器の起動(ドアのロックや、ゾンビ用監視カメラ)

など。

 

持てるアイテムは最大16個。

ゲームパッドの左上と右上に3つずつ、計6つのアイテムをセットできるほか、

非常用バッグ(リュック)の中には10個までのアイテムを格納し、持ち運べる。

 

緊張感を演出する、仕様上の制限がある。

・武器は、セットしないと装備できない

・回復アイテムはセットしなくても使えるが、カバンを覗き込んでいる間はプレイヤーが座り込みカバンを弄るため、無防備となる

これは、

・セットできる6つのアイテムが、手に持ったりポケットに入れたりできる数

・それ以上のアイテムは非常用バッグでの持ち運び

という設定なのだと思う。

 

他のサバイバルホラーゲームと大きく違うのは、

「アイテムを選択するときにも、ゲーム内時間が進行する」

点だろう。

ゾンビから逃げながら体力回復は可能だが、

それはセットしたアイテム(=手やポケットに収まっている)だけ。

周りに危険がないことを十分に確認してからでないと、

リュックの中のアイテムを使ったり、セットしたりしようとした際に、

ゾンビに襲われることが起こりうる。

 

モードは2つ

  

①キャンペーンモード:

死んでも、前回のセーブポイントからやり直せる。

その代わり、これまでにアイテムは全て失われる。

(ストーリーの進行状況は引き継がれる)

 

②サバイバルモード

死んだらその場でセーブされ、そこからやり直すことはできない。

初めからやり直しになる。

 

良い点

 ◆ゲームパッドの特徴を活かしている

これは前述の、緊張感を演出できる仕様のこと。

 

◆没入感がある

TV画面には、字幕以外の情報は表示されない。

体力やアイテム、マップなどの情報はすべて、ゲームパッド側に表示される。

 

◆リアルに徹している

・「噛まれたら即ゲームオーバー」である点

・ヒトの形をしたゾンビ以外、出てこない(巨大なボスはいない)

 

 悪い点

◆初期装備 = 最強

最初に手に入れる武器の「クリケットのバット」。

これが最強。

理由としては

・一定条件下で、ゾンビを一撃死させられる(ハメ殺せる)

・消耗しない

の2点。

※銃でゾンビを殺すときには複数発の弾丸が必要なことが多く、

弾の入手可能数も少ないことから、結果的にバットばかり使うことになる。

 

<ハメ方>

・バットを持ちZLボタンを押すと、バットでゾンビを怯ませることができる →

・この動作をゾンビの背後から行うと、ゾンビが転倒する →

・転倒したゾンビに近づき「とどめを刺す」が表示されたらZRを押す →

・ゾンビが一撃死する

 

◆進行不能バグが存在する

僕は遭遇したことはないが、特定条件下で起こりうる。

起こっても直前のセーブポイントからやり直しは可能。

 

◆ゾンビのボイスがおかしい

ゾンビがダメージを喰らっているときのボイスが、共通されて使われている。

例えば一体のゾンビに複数回の攻撃を喰らわせるときに、

一発目:低い男性の声

二発目:高い男性の声

三発目:低い男性の声

といったように、ボイスが切り替わる。

 

そのせいで、攻撃を与えている途中、

・このゾンビが複数のゾンビの声を出しているのか?

・それとも、視界の外からゾンビが近づいているのか?

ということを判断しづらい。

 

これはおそらく、画面内に複数のゾンビが表示された際に、

「ゾンビ毎に、固有の声を割り当てる」処理をしなかった、

もしくは(容量的・技術的に)できなかったものだと思われる。

ちなみに、男性のゾンビから女性のゾンビの声がする、ということはない。

(それしてたらクソゲー認定待ったなしだった)

 

おわりに

キャンペーンモードも面白いけれど、やはりこのゲームはサバイバルモードが面白い。

「一度のミスで全てを失う」のって、絶望感はあるけどクセになる。

壺に入ってひたすら上を目指すゲームもいいけど、

このゾンビUも相当オススメできる。人を選ぶけど。

 

ところで、本ゲーム内には、プレイヤーをサポートしてくれる、

「プレッパー」というキャラクターがいる。

 

 

地下鉄のどこかに住んでいるが、プレイヤーキャラクターの前には姿を現さない。

マイクによる音声のみでプレイヤーに語りかけてくる。

  

このTwitterbotは、発売当時に僕が作った。

botまで作るくらいだから、当時は相当ハマっていたのだろう。

 

 

本日はここまで。

 

<引用>

「いいか、…」

プレッパー/ゾンビU

 

どうすればマルチタスクをやめられるのか?/集中できる時間を取り戻すために

 

そらね! きみは観察していないんだ。そのくせ、見るだけは見ている。

そこなのさ、ぼくの言いたいのは。

 
言うは易く行うは難し。

 

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マルチタスク(Multitasking)の弊害については理解しているつもりでも、

つい、その誘惑に負けてしまう。

僕もよくその誘惑と闘っているし、よく負けている。

なぜなら、マルチタスクは気持ちいいから。

マルチタスクをすると、脳内で報酬ホルモンである、

ドーパミンが放出されることが分かっている。

 

 

小さなタスクの切り替えを繰り返すと、脳の悪習慣が助長される。

メッセージの送信やツイートの投稿などを完了するたび

脳内にドーパミンが放出される。脳はこのドーパミンを好むため、

簡単に満足感を与えてくれる小さなタスクを行い続ける。

このブログでよく言うところの「インスタントな快」だ。

 

僕たちはマルチタスクから逃れられるのか?

 

逃れられる。しかし、マルチタスクから逃れることは、非常に難しい。

テクノロジーを拒絶しても、これは変わらない。

スマホ含め、多くの機器を手放す覚悟があったとしても、マルチタスクは可能。

例えば「食事をしながら新聞を読む」ことも、マルチタスク

マルチタスクは完全に断ち切るのが理想だが、減らしていく方が現実的だろう。

 

マルチタスクを減らしていく

 

まずは小さくはじめる。

マルチタスクの時間をできるだけ減らし、うまく立ち回る術を知る。

マルチタスクを制限し、集中できる時間を手に入れよう。

「考え方」と「仕組み」の2つを使って。

 

マルチタスクを減らす「考え方」

  

マルチタスクの快楽に抗う

マルチタスクは非効率である」という意識を持とう。

 

MITの認知神経科学者、Earl Millerはこのように語っている。

 

私たちの脳はマルチタスクとは相性が良くありません。マルチタスクをうまくやっていると思っている人でも、実際にはただ、タスクからタスクへ非常に素早く切り替えているだけなのです。そして、そうするたびに、認知力が低下します

 

同時に複数のことをするマルチタスクは、効率的なように見えて、 非効率。

この意識を持つことで、マルチタスクの誘惑や快楽に抗う。

 

◆沈黙に耐える

ひとつのタスク中に生まれる「間」。この「間」をかみしめる。

例えば、本を読む・映画を見る・ブログを読む/書くなど。

それぞれの中で生じる「間」をかみしめ、楽しむ。

数分・数秒の「スキマ時間」を無駄にしまいと、別のことに意識を割かないこと。

絶対に避けるべきことは、スキマ時間のスマホ操作。

最低でも、スマホは目の届かないところに置こう。

 

マルチタスクを減らす「仕組み」

 

◆シングルタスクできる道具をえらぶ

単一の機能しか持たないものは集中しやすい。

例えば「読書」なら、紙の本以外…電子書籍を読むときは、kindleを使う。

PCやタブレットスマホkindleアプリは使わない。

あくまでも「kindle専用機」を使う。

電子書籍としての機能しか持っていないため、読書に集中しやすい。

書籍は本来、「読む」以外の機能を持たない。

電子化された書籍を読むなら、単一機能のkindleを選ぶ。

 

◆環境をととのえる

物理的に不可能なら、マルチタスクに溺れる心配もない。

マルチタスクできる環境から離れたり、その環境をととのえる。

例えば「ブログを書く」なら、書く・読む以外の行動が制限される図書館に行く。

自宅での作業にこだわるなら、せめて自宅の環境をととのえる。

デスクから「書く」以外の道具を全て取り払う、など。

 

◆時間をえらぶ

マルチタスクを生じさせにくい時間帯をえらぶ。

人間が「選択すること」に割けるリソースは限られている。

マルチタスクを脱してシングルタスクに集中するためには、

まだ何も選択していない時間帯、「朝起きてすぐ」が望ましい。

朝のメリットは、割り込みが発生しづらいこと。

集中を妨げる「音」が少ない。

 

おわりに

 

告白すると、この記事はマルチタスクの末に出来上がった。

もし完全にシングルタスクを実現したいなら、

デスクにタイプライターを置く以外に、道はないのかも知れない。

 

現代人は最早、テクノロジーを拒絶することはできない。

少なくとも僕はそうだ。

 

せめてこのマルチタスクをしてしまう時間を減らして、

集中できる時間を増やしていきたいと思う。

 

 

参考:

 

 

<引用>「そらね!…」

ボヘミアの醜聞シャーロック・ホームズ

いまのゲームを昔のように楽しむ/効率を追わず「無駄」を楽しめ

 

ゲーム業界はどんどん前進して 大野も前へ進んでるのに

俺だけとどまるなんてカッコつかねーだろ?

 

いつだって、ゲームは輝いている。

 

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そう信じたい反面、ゲームを昔ほど楽しめないときもある。

 

「昔のゲームは面白く、いまのゲームはつまらなくなったのか?」。

 これは以前に少しだけ触れた。 


それが昔のゲームであろうが、最新のゲームであろうが、

楽しめるかどうかは、自分の気持ちひとつ。

いまのゲームを昔のように楽しむには、どうすればよいのか。

 

大切なこと

 

いまのゲームを、昔のように楽しむ。

そのために大切なことは、

 

「効率を追わない」

「無駄を楽しむ」

ことだと思う。

 

◆集中する

マルチタスクで効率を追わないこと(そして、マルチタスクは実際には非効率)。

コンシューマゲームを楽しみたいなら、スマホを遠ざけておくこと。

物理的な距離はもちろん、意識の外にスマホを追い出す。

ゲームのスキマ時間にSNSなど、もってのほか。

ゲームそのものに集中しよう。

 

◆攻略法に頼らない

過度な攻略情報で効率を追わないこと。

ネットで攻略法を見て、最善の選択をする。何も取りこぼさず、完璧に立ち回る。

これは一見して効率が良いように思うかも知れないが、

それでゲームを「楽しむ」ことができるかというと、そうとは限らない。

ゲームのジャンルに関わらず、攻略法は見ない方が良い。

攻略法を見てしまうと、ゲームの進みは早いかも知れないけれど、

試行錯誤する楽しみが奪われてしまう。

ゲームがただの「作業」になってしまう。

「やらされ感」があると、楽しめない。

 

◆「道中」を楽しむ

効率を追わずに、寄り道していい。

進め方が分からず、時間を無駄にしてもいい。

RPGで詰まって同じところを繰り返し移動して、

結果的にレベルが上がり、後からラクになるくらいでいい。

最短距離でゲームを進めると、レベルや技術が伴わずに、終盤で苦労することがある。

 

 

◆コンプリートにこだわらない

効率を追わずに、自分のペースで集めればいい。

やりこみ要素をコンプリートすることに、必要以上にこだわらないこと。

できれば、攻略サイトにも頼らない。

1時間プレイして、何も進まなかったり何も得られなかったりしても、

「損をした」と思わないこと。ときには、無駄な時間を楽しむのも面白い。

次々と新しい要素、新しい目的が追加されるソーシャルゲームと異なり、

コンシューマゲームのやりこみ要素には必ず「終わり」がある。 

 

◆サンクコストを気にしない

「これまでにかけたコスト」にばかり目をやって、不合理な選択をしないこと。

 

・せっかく買ったから、最後までクリアしないといけない

・ここまで集めたから、全てコンプリートしないといけない

こういった考えを捨て、

 

・クリアしなくてもいい。

・コンプリートしなくてもいい。

と考える。

ゲームは楽しむものであって、作業ではない。

やりたいときに、やればいい。

 

◆マニュアルをよむ

いまのゲームには紙の説明書はないけれど、

「昔っぽさ」が楽しめる電子説明書も存在する。

電子説明書がないときは、公式サイトを眺めてみる。

面倒くさがらず、ときにはゲームする手を止めて見てみよう。

 

◆自分をほめる

うまくできたプレイを、もっと喜んでいい。

小ネタや、裏技に近いことを見つけたときには、

「自分が、世界で一番はじめに見つけた」と思っていい。

昔は、ネットを見て見知らぬ他人と競うことはなかった。

他人に認めてもらうことではなく、自分の満足のためにプレイする。

見知らぬ人に「いいね」をもらうためではなく、自分のためにプレイする。

 

◆見るだけで満足しない

ゲームの楽しみ方のひとつ、「実況プレイ」動画。

確かに楽しいが、見るだけで満足せず、自分でもやってみる。

 

◆レビューは見ない

無駄遣いを恐れないこと。

Amazonのレビューは見ない。

レビューを理由に、購入をためらうのはもったいない。

自分が面白いと感じたら、他人のレビューは関係ない。

自分が下した評価に、他人の評価を影響させない。

自分が面白いと感じたら、☆5つでいい。

 

◆交流する

攻略サイトを見ない代わりに、人に聞いてみる。

ぐぐれば分かることを、あえて聞く。

攻略法を、教え合う。

身近な友人でもいいし、SNS上の友人でもいい。

「答えを知る」ことよりも、会話そのものを楽しむ。

ぐぐって最適解を見つけるよりも、

お互いの失敗談を語りながら交流する方が、楽しい。

 

 

本日はここまで。 

 

 

<引用> 「ゲーム業界は…」

矢口 春雄(ハイスコアガール

 

未来では「面倒くさいこと」が贅沢な体験になる/進む「自動化」について

 

ここ「不便」だから全部自分の手でやれるじゃないですか

それが何だか嬉しいんです

 

もしすべてが自動化されたら、あなたはそれに身を委ねるだろうか?

それとも、自分の手でつくる「何か」に心を傾けるだろうか?

 

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面倒なことが、嫌いだ。

でも、生活の中であえて「面倒くさい」を楽しむこともある。

 

好きなものに対しては、面倒くさいことを楽しむ。

具体的には、コーヒーを淹れる手間と時間を楽しんだり、

靴や財布などの革製品を手入れする手間と時間を楽しんだり。

 

身近な家電製品から自家用車、買い物に至るまで、「自動化」が進む現代。

未来では、さらに多くのことが自動化されるだろう。

 

それに対し減っていくのは、

「自分の手でやれること」。

 

 ”マニュアル操作”で行うことは、どんどん少なくなっていく。

 

便利になると思える一方、こう考えることもできる。 

 

未来では、「面倒くさいこと」が贅沢な体験になる。

 

自動化は、留まることをしらない

 

「自動化」について考えてみる。

 

<これまでの流れ> 

・すべて、人の手で行う →

・工程の一部を機械で、一部を人の手で行う →

・すべて、機械で行う

 

掃除に関していうと、流れはこう。

ホウキ → 掃除機 → ルンバ

 

高度経済成長期、昔はその殆どを人の手で行っていた家事は、

家電により自動化された。

 

家電以外にも、自家用車や、小売店のレジなど。

 自動化は、留まることを知らない。

 

自動化は、思考にまで及ぶ

 

物理的なものだけが、自動化の対象ではない。

精神的なもの、「思考」についても、その対象だ。

 

例えば、

・「どの服を着ようか?」

・「何の曲を聴こうか?」

・「晩ごはんは、何を食べようか?」

 

これらを、サジェスト(提案)してくれるサービスは、

すでに多く提供されている。

 

「自動化」について考えるとき、いつも思い出す映画がある。

『ウォーリー(WALL-E)』だ。

 

私は生き残りたいんじゃない、生きたいんだ!

 

映画「ウォーリー」のシーン。生活に必要なことの全てをロボットに依存する人間たち。

動画は3分半。この3分半は、世界で最も短い類のドキュメンタリーといえる。

2008年のピクサー/ディズニーの映画『ウォーリー(WALL-E)』。

公式サイトから作品紹介を引用する。

 

29世紀の地球。700年もの間、たった独りでゴミ処理を続けているロボット【ウォーリー】。彼の夢は、いつか誰かと、手をつなぐこと。ある日、そんなウォーリーの前に、真っ白に輝くロボット【イヴ】が現れる。一目惚れしてしまったウォーリーが、イヴに大切な宝物“植物”を見せると、思いがけない事態が!イヴはそれを体内に取り込み、宇宙船に回収されてしまう。イヴを失いたくない!必死に宇宙船にしがみついたウォーリーは、大気圏外へ飛び出して…。宇宙の遥か彼方でウォーリーを待ち受けていたのは、地球の未来が懸かった壮大な冒険だった!
純粋にただ大切な相手を“愛する”ことの素晴らしさを教えてくれる、ディズニー/ピクサーが贈る“29世紀のラブストーリー”。

 

上の動画にもあるように、作中の巨大宇宙船アクシオムの中では、

人間は生きるために必要なこと全てを「機械」に任せている。

 

巨大宇宙船の乗客たちは、考える必要も、働く必要もない。

考えることも、働くことも、すべて「機械」がやってくれる。

 

この映画は、

AI(人工知能)とBI(ベーシックインカムがもたらす未来を示唆している。

そう捉えることもできる。

 

自動化が極限まで進むことで、あり得るかも知れない未来。

これは何とも、おそろしい。

 

この作品がスゴいのは、

最高のエンターテイメント作品であり、

同時に、風刺の効いたディストピア作品であること

だと思う。

 

10年以上前の映画だが、この作品は自動化が急速に進んでいる今こそ、

改めて見たい作品のひとつといえるだろう。

ちなみに、ディズニーの公式サイトでは多くの作品から「キャラクターの一覧」を見ることができるが、

ウォーリーの主要キャラクター(ウォーリーやイヴ)を見つけることはできない。

(近い時期、2006年の映画「カーズ」からマックイーンは見つかるのに)

風刺が効いている映画とはいえ、この映画が意図的に「隠されて」いるとしたら、ちょっと怖い。

なお、「作品一覧」から映画ウォーリーを見つけることはできる。

 

ありうる未来について

 

映画で描かれる未来は、行き過ぎかも知れない。

 

しかし、めざましい発展を遂げる現代のテクノロジーが、

「自分の手で、できること」の自動化を進めるのは、もう止められない。

 

AIとBIが社会に浸透し、

「考えることも、働くことも、しなくていい」世界が出来上がったら、

僕たちはどのように生きていけばよいのだろう。

 

「自分の手で何かをすること」が、

「自動化に身を任せること」よりも贅沢な体験になる。

そんな未来がくる気がしてこないだろうか。

 

暗い未来が頭をもたげそうになるけれど、

いまはただ心を傾けられることを大切にして、

積み上げていきたいと思う。

  

 

<引用>

「ここ不便だから…」/水無灯里ARIA

「私は生き残り…」/B.マックリー(映画「ウォーリー」)

スマホゲーム依存と向き合う、本当の「遠ざけ方」について

 

顧客を『ユーザー』と呼ぶのはテクノロジー企業とドラッグの売人だけ

 

どうして、不合理な選択をしてしまうのだろう。

 

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ほかにやるべきことは沢山あるのに、

つい、スマホでゲームをはじめてしまう。

 

そんな経験が、誰にでも一度はあるだろう。

 

つい、スマホゲームに手が伸びる。

そんな人に読んで欲しい記事。

 

スマホゲーム依存の解決法は?

 

今日は、身近な「ソーシャルゲーム」についての話。

さらに限定して、ソーシャルゲームの中でも

スマートフォンを主なプラットフォームとするゲーム」

いわゆる、スマホゲームについて。

 

スマホゲーム。

そのゲームが僕たちの脳の構造を「作り変えた」と考えるのは、

飛躍しすぎた話だろうか?

 

少なくとも、中毒になるリスクをはらんでいることは確かだろう。

「やめたくてもやめられない」に対する、解決方法はあるのだろうか?

 

自分自身からゲームを

「取り上げる」といった荒療治以外に、安全な解決方法は?

 

「アンインストール」以外の解決法

 

依存の解決方法はある。

それも、反動が出ないカタチで。

 

即効性を求めるなら、アンインストールすれば済むこと。

しかし、その方法には反動が伴う。

 

仮にお気に入りのスマホゲームをアンインストールしたとして、

数日もすれば後悔がやってくる。

ほどなくして再インストールされ、その後は、

遅れを取り戻すために、よりスマホゲームに没頭するだけ。

状況は、もっと悪くなる。

 

もっとも効果のある方法は、スマホゲームを遠ざけることではない。

 

「他に、もっと熱中できるものを見つけること」。

 

自分を受け容れること

 

何かへの依存を断ち切りたいとき、対象を遠ざけることはおすすめしない。

その行為が「自分は、疾患を抱えている」という意識を強めてしまう。

ネガティブな思考は、できるだけ遠ざけた方がいい。


ネガティブを徹底的に遠ざけることが大切。コントロールできないものに、意識を割かない。

他人はもちろん、自分自身に対しても寛容になるべき。

 

ここで大切なのは、

遠ざけるのは「ネガティブな思考」そのものだけである、ということ。

「事実」の部分を、遠ざける必要はない。

 

例えば、

「自分は意思が弱い。いま、ゲームを起動したくて、うずうずしている」

と思ったとする。

 

これを、分解する。

 

「自分は意思が弱い」という部分が「ネガティブな思考」

「いま、ゲームを起動したくて、うずうずしている」という部分が「事実」

 

事実を受け容れつつ、ネガティブな思考をしない。

「ネガティブな思考を遠ざける」うえで、大切なことだ。 

 

熱中できるものを見つける

 

依存に向き合うなら、対象以外に「熱中できるもの」を見つけるのが良いと思う。

これは実体験からの意見。

僕のスマホには、3年以上遊んでるゲームが2つインストールされているが、

どちらにも依存せずに済んでいる。

 

ラットパーク実験、というものがある。

 


「麻薬依存症の原因は、麻薬の依存性よりも環境である」ことを示唆する実験。

これは否定されることも多い説なんだけど、僕としては、

「依存症を解決する上で、参考にできる説のひとつ」と考えている。

 

スマホゲームも好きだけど、コンシューマゲームも好きだし、

最近だとブログを書いたり、読んだりするのが楽しい。

もちろん、これまで記事にした革のお手入れだったり、

コーヒーを楽しむことだったりも楽しんでいる。

 

なかでもやっぱり、ブログが一番効果があるのかな、と思う。

  

すべての情報を知る必要はない、ということを知る

 

プレイヤーがドカ食いしないように設計して、日々のすきま時間にぴったりな、チーズケーキのような感覚をつくるんだ。ずっと食べられないから、もっとほしくなる。チーズケーキを食べすぎたら、もうほしいと思わなくなるでしょ。つまり、ゲームに制限を加えることで、脳のなかにそれと似たような状態をつくってるんだ。実際よりも特別なものだって思う感覚を。

 

拡張性がウリのスマホゲーム。

これが「完結することがない」ゲームだということを、理解する。

新キャラクター、新装備、新要素など、ユーザーを縛り付ける要素はたくさん。

全てを知ったり、得たりする必要はないことを知ろう。

 

おわりに

 

スマホゲームに限らず、適度に楽しむことが大切。

 

終わる前に、割とどうでもいい情報ではあるんだけど、

僕のスマホに入れているゲームを。

 

 

ひとつは、ファイアーエムブレムヒーローズ(FEH)。

原作は聖魔と覚醒の2つしかやってなかったりする。

 

ひとつは、Tokyo 7th シスターズ

いわゆるアイドル育成ゲームだが、類するゲームの中でも、楽曲の良さで選んだ。

 

 

本日はここまで。

 

 

<引用>

「顧客を…」 ゴールデン・クリシュナ(デジタル・デザイナー)

「プレイヤーが…」 ディヴィッド・ハウゼン(クリエーター)

 

 

「いっせいトライアル」にみるフリー戦略について/「進め!キノピオ隊長」で遊んで思うこと

 

経済学の教育をちゃんと受けた者は、本当に「タダ」のものなどないことを知っている。手に入れるものには、何かしらの方法で代金を払うことになるのだ。

 

Nintendo Switch Onlineの期間限定イベント

「いっせいトライアル」で遊べる「進め!キノピオ隊長」。

 

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2019年8月11日 18:00までの期間限定。期間後にもっと遊びたい人のために、8月19日までのセール実施中。ダウンロード版を30%オフの2,980円で購入できる。

 

元々はWii Uで発売されたこのタイトル、

知ってはいたけど、プレイしたことはなかった。

ちょっと遅れたけど、プレイしてみた。 

 

 これが、予想以上に面白い。

 

優れたゲームデザイン 

 

進め!キノピオ隊長」。

 

・シンプルな操作

・説明不要な分かりやすさ

・適度なやりこみ要素

 

良いところを厳選すると、この3つ。

特に2番めの「説明不要な分かりやすさ」が良いね。

 

操作方法のチュートリアルはないけれど、

電源を入れて数分もあれば、基本操作を理解できる。

(電源を入れてすぐ、というのがポイント。冒頭のムービーシーンも、非常にコンパクトにまとめられていて、テンポが良い。)

 

多くのアクションゲームには「ジャンプ」があるが、

キノピオ隊長には、それがない。

ジャンプがない代わりに、上下移動はハシゴだったり、

フィールドのギミックだったりで対応する。

 

アクションを極限まで削ぎ落としたことで可能となった

「説明不要なわかりやすさ」。

 

「情報量」を意図的に少なくしているゲームデザインだな、と思う。

 

1ステージあたりの収集アイテムも、基本的には

「スーパーダイヤ」3つだけ、というのが嬉しい。

(やりこみ要素は多ければ多いほどいい!という人には物足りないかも知れないが)

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ステージ選択画面だけで、全ての「やりこみ要素」を一覧できるのが良い。1ステージが小さく、短いからこそできること。

 

コンシューマゲームではあるけれど、スマホゲームの手軽さに寄せてある、

と言ってよいと思う。

このシンプルさは、ライトユーザーにとっては嬉しい。

 

さて、今回の話はゲームのことだけではなくて、

「いっせいトライアル」に見られるような無料のキャンペーンの

ビジネス的な側面の話を少しだけしようと思う。

 

任天堂の「フリー戦略」について

 

任天堂がこうした「フリー(無料)」戦略のビジネスを本格化させたのは、

スマートフォン向けアプリに参入し始めてからだっただろうか。

「体験版ではなく、製品版を無料でプレイできる」という点では、

2014年に「ワンダフル101」が期間限定で無料プレイできたことを思い出す。

任天堂ではなくて、プラチナゲームズのソフトだけど。

 

フリー戦略としての「いっせいトライアル」。

今回のこのキャンペーンの、目的は何なのか。

それを考える前に、まず「フリーのビジネスモデル」についてのおさらいをしよう。

 

もう10年前になる名著、

クリス・アンダーソンの『フリー』を参考にして。

 

無料から利益を生み出す「フリー」のビジネスモデル

 

クリス・アンダーソン著『フリー』では、

フリーのビジネスモデルは、大きく四種類に分けられている。

 

1.直接的内部相互補助

2.三者間市場

3.フリーミアム

4.非貨幣市場

 

それぞれ、かなり大雑把に説明すると:

 

◆1.直接的内部相互補助

これは、例えば

「DVD・ブルーレイソフトを2枚買うと、3枚目が無料! 」といったモデル。

英語では「Buy 2 get 1 free」。数値はキャンペーンによって様々。

他の身近な例だと、ドミノピザの「1枚買って1枚無料」が挙げられる。

 

◆2.三者間市場

これは、例えばテレビやラジオ。

利用者・提供者とは別の第三者が費用を負担するモデル。

利用者=視聴者 / 提供者=テレビ局 / 第三者=CMのスポンサー

 

◆3.フリーミアム

これは、例えば試供品。

もっと身近な例としては…スマホの無料ゲーム。

はじめに、商品やサービス(または、その一部)を無料で提供する。

その中から、一部の人が商品を購入したり、

有料サービスを利用したりすることで利益を上げるモデル。

 

◆4.非貨幣市場

先に挙げた3つとは異なり、金銭的な取引から外れたもの。

対価は金銭ではなく、世間からの注目や評判、社会的な評価、無形の報酬など。

 

さて、今回の「いっせいトライアル」は、

言うまでもなく3.の「フリーミアム」。

これが分かったところで、その目的を考えてみよう。

 

「いっせいトライアル」の目的

 

個人的には、次の2つが当てはまるかと思う。

 

1.フリー戦略のサンプル収集

2.純粋な「キノピオ隊長」のマーケティング

 

サクッと考察する。

 

◆1.フリー戦略のサンプル収集

キノピオ隊長」だけに留まらない、他のゲームのフリー化を含め、

サンプルを収集する目的があったのかな、と思う。

フリーのゲームといえば、スマートフォン向けアプリ。

任天堂だと、FEHやドラガリアロスト、どうぶつの森ポケットキャンプなどが

代表的なアプリ。

 

任天堂の社長は、スマホ向け事業を収益の柱にすると明言している。


ゲーム機だけでなくスマホにも展開すると、ゲームのキャラクターを世界へ普及する力が格段に高まる。スイッチの販売は現在約60カ国だが、スマホ向けゲーム『スーパーマリオ ラン』は150カ国近くに普及している。時間はかかるが、スマホ向け事業を収益の柱の一つにしたい。複数のアプリケーションで複数分野へ展開しながら大ヒットを狙う

 

ここから予測できること:

 

・「キノピオ隊長」のスマートフォン向けアプリ配信

 

こういうのありそうだなあとと思いつつ、

今年2019年のE3(世界最大のゲーム見本市)はもう終わってしまったので、

あるとしても年末か2020年E3かなあ、といったところ。

 

スマホ向け事業の収益について、参考になった記事。

 

2.純粋な「キノピオ隊長」のマーケティング

キノピオ隊長」の無料トライアルが始まってから、

YouTubeのゲーム実況プレイ動画が、明らかに増えている。

いまやゲーム実況は、自社のゲームを多くの人に知ってもらうのに、

欠かせないものとなっている。

 

ここから予測できること:

 

・「キノピオ隊長」シリーズ続編の発表

・「キノピオ隊長メーカー」の発表

 

さっき述べたとおり、早くても年末か来年以降になるだろう。

もちろん、出ない可能性もあるけれど…。

(でも、キノピオ隊長メーカーとか絶対面白いやつだと思う)

 

おわりに

 

ゲームの話だけしようと思ったのに、

つい現実的な話になってしまった。

 

スマホゲーは邪道、コンシューマゲームこそ至高」

と思ってしまうことはあるけれど、

その時代で「楽しいこと」は変わっていくからね。

 

ゲームのカタチは変わってしまうけれど、

楽しむ心は変わらないようにしたい。

 

 

本日はここまで。

 

 

<引用>「経済学の…」

テリー・ハンコック(「フリー・ソフトウェア・マガジン」に載せた意見)

 

 

 

【心に、余裕を】80年代のCMに学ぶ「自分の人生」にフォーカスする生き方

 

無料で何かが手に入るといい気分になることはだれでも知っている。じつは、値段ゼロは単なる価格ではない。ゼロは感情のホットボタン、つまり引き金であり、不合理な興奮の源なのだ。

 

みんな、疲弊してる。

 

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日本人に、余裕がない。

精神的な余裕、というのだろうか。

割とみんなピリピリしてるな、と思う。

 

そういえば、自分もそうだったなと思い出す。

いまでこそ、割とストレスフリーな生活をしているけれど、

仕事で忙殺されていた頃は、毎日に余裕がなかった。

 

心の余裕、大事。

 

日本人は、がんばりすぎ。

仕事に家事に学校に、がんばりすぎてる。

 

がんばり屋さんの皆さんにおすすめしたいのは、

適度に「ゆるく」生きること。

 

大切なことはひとつ

「自分の人生に、フォーカスする」。

 

余裕があった時代

 

まずは、この動画を見て欲しい。

 


80年代のコカ・コーラのCM集。

皆、キラキラと輝いている。

 

これがCMの演出(*1)である点や、

バブル景気の真っ只中であった点を抜きにしても、

人々に余裕があった時代だと思う。

(*1)このCMが俳優だけではなく、市井の人たちの暮らしを切り取ったシーンも多いという点にも留意したい。

 

「労働時間」という点では、

現代より長かった(*2)と言われているこの時代。

(*2)近年は、パートタイム労働者比率の高まりにより、労働時間は減少傾向で推移している

 

この時代が輝いて見える一方、

 ”現代の日本に、余裕のない人が増えた”

 

そう感じるのはなぜか?

 

余裕を持って生きる、とはどういうことか

 

「余裕がない人」たちについては、

以前の記事で少し触れている。

 

日々の生活で消耗している人たちが、オンライン上でも消耗してる、という記事。

この記事では、

「自己肯定感が低い人ほど、他人に対して否定したがる」

「他人の人生ではなく、自分の人生を生きるべき」

といったことについて語っている。

 

こちらの記事も、近い内容のもの。

 

あらゆる方向から攻撃が飛んでくるインターネットに関する記事。

「人の批判をする人は生産性が低い」

「それらの人たちを分断するテクノロジー

について語っている。

 

「余裕がない人」たちに、共通していえることがある。

 

「他人の人生を生きている」。

 

それはそうだよな、と思う。

他人の人生に口出しなんかしていたら、

自分の人生にフォーカスする時間なんてなくなる。

 

批判することで得られる、一瞬の「快楽」と引き換えに、

自分の人生を、ジリジリと、すり減らしていくようなもの。

 

スマホのタップひとつで得られる快楽のことを、僕は

「インスタントな快」と呼んでいる。

 この記事では、自分の人生ではなく他人の人生に生きる人たちを、

「余裕のある人たち」と表現している。これはなかなかに皮肉が効いてる、と思う。

 

本当の意味で余裕を持って生きていくためには、

「自分の人生にのみ、フォーカスすること」。

 

他人にフォーカスすることは非常にコスパが悪いことを、

よく理解しなくてはいけない。

 

昔は皆、自分の人生にフォーカスしていた

 

ブログ記事にある「余裕のない人」が生まれた背景として、

 

「他人の人生が、可視化されすぎている」

 という点が挙げられる。

 

現代はあまりにも、

他人の人生が入り込む余地が多い。

 

例えば、先ほど紹介した80年代コカ・コーラのCMの時代。

この頃は、スマホはおろか携帯電話さえ、広く普及はしていなかった。

 

この頃に目にする他人の人生といえば、

家族や友人、職場の同僚 といった、限られた範囲だけだった。または、

新聞やテレビで見る、著名人や有名人 といったところか。

 

この時代に「他人の人生を生きる」人なんて、

殆どいなかったように思う。

 

学校が終わってから、

仕事が終わってから、

家事が終わってから。

 

それぞれ「自分の人生」にフォーカスする時間を、

現代よりも多く取っていた。

 

手のひらサイズのディスプレイに目を落とし、

「他人の人生」にフォーカスすることはなかった。

 

現代は、何もかも可視化されすぎている

 

月に数千円の維持費で使える、スマートフォン

そこから得られる情報の殆どは「無料」だが、

僕たちはそれと引き換えに、大切な時間を多く失っている。

 

それを助けているのは、

「人々の可処分時間をいかに奪うか?」にしのぎを削っているテック企業や、

その企業が提供するテクノロジーだけでない。

 

ほかでもない、僕たち自身だ。

 

僕たちが「いいね!」欲しさにアップロードする写真の積み重ねで、

今日も人々の人生は地球の裏側まで拡散されていく。

(懺悔とは違うが、僕も今日、撮影した写真をSNSにアップロードした。

 普段からインターネットへの過度な没入を戒める意識を持っている僕でも、

 インスタントな快から逃れるのは難しい)

 

テクノロジーの恩恵はありがたく受けつつも、

それらをうまく使っていきたい。

 

おわりに

 

この記事も、他人の人生を生きていることになるのだろうか。

そう思う瞬間もあった。

しかし、本質的なことを繰り返し伝えることには、意味があると考えている。

 

実は、今日は労働についての記事を書こうと思っていたが、

途中まで書いてからコカ・コーラの動画を見たら、

テーマが途中で変わってしまった。

それはまた次の機会に。

 

 

本日はここまで。

 

 

<引用>

予想どおりに不合理(原題:Predictably Irrational)/ダン・アリエリ

 

 

 

 

【対策は、可能】深い思考を妨げる「情報」の過剰な摂取について

 

どんなに情報を追い求めても、絶対に追いつくことはできないのです。相手はインターネットで、情報は世界中のありとあらゆるところから、日々怒涛のように発信されるのですから。

 
物事をかみしめることが少なくなった、と思う。

 

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かみしめることが少なくなると、記憶が定着しづらくなり、

 深い思考ができなくなってくる。

 

原因には、心当たりがある。

小さく、浅い情報を連続でインプットし続けていることと、

その情報が自身に定着していないことだ。

 

深い思考に必要なことは、何か。

 

「フローする情報を消費するだけで終わらせず、

 ストックできる情報を、かみしめる」

これに尽きるのかな、と思う。

  

フローとストック

情報は、フロー情報とストック情報の2つに分類できる。

一例を挙げる。 

 

 <フロー情報>

 ニュースやTwitterSNSのタイムラインなど

 

 <ストック情報>

 教科書や辞典、データベースなど

 

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ブログはフロー情報と捉えられがちだけど、

個人的には、フローとストック情報の両方になり得ると思う。

 

例を上げるなら、

製品やサービスについての記事なら、フロー。

手順や手法、思考についての記事なら、ストック。

 

こんなところだろうか。

ただし、ひとつの記事でフローとストックの両方を兼ねるものもあるから、

単純に分類することはできない。

 

「かみしめる」ことについて

記事冒頭の

「フローする情報を消費するだけで終わらせず、

 ストックできる情報を、かみしめる」

について、考えてみる。

 

単純な例えだと、こう。

Twitterのタイムラインを眺めて終える1時間と、

 本を精読する1時間では、思考の深まり方が違う」

 

別にこれは、本である必要はない。

ブログ記事でもいいし、ウィキペディア記事でもいい。

ドラマや映画、漫画やアニメでもいいし、絵画でもいい。

  

そのことについて、深く考えることができたなら、

それは「かみしめた」といえる。

 

「外部記憶装置」の功罪

深い思考に必要な情報は、多いほど良い。

そして、その情報を蓄えるスペースは、大きいほど良い。

これについて、

必ずしもそうではない、と思い始めた。


情報を「蓄える」だけに終始して、その後に活用されないのであれば、

はじめから蓄えない方が、時間を使わないだけまだマシだ。

 

それを確信するきっかけとなったのが、

祖母の「手帳の使い方」だった。


僕の祖母は、手のひらサイズの手帳を電話帳として使っている。

 

電子機器の類は全く使わない祖母にとって、

情報を記憶しておく媒体はこの手帳のみ。

おそらく、無駄になる情報はほとんど記されていないだろう。

その中の情報は、少なくとも1回は「活用」されているはずだ。


一方で、僕たちはどうか。

手元にあるスマホは、手のひらサイズの手帳に記すことのできる情報の、

何億倍もの情報を記録できるだろう。

また、記録する対象はハードの中だけにとどまらない。

オンラインストレージなど、多くのクラウドサービスから、

より多くの「外部記憶装置」を借りることができる。

 

「ひとまず、保存しておけば大丈夫だ」

 

こういう考えのもと、何でもかんでも情報を蓄えてしまう。

 

「自分で覚えておく必要はない。

覚えるのはスマホやオンラインストレージに任せればいい」

 

このように、情報を多く蓄え、然るべきときに備える。

それは合理的な判断かも知れない。

 

実際、僕はEvernoteDropboxなどのオンラインストレージサービスを

使っているし、そこから情報を検索することがある。

しかし、近ごろ思うのは、それが必要かどうかを深く考えず、

ただ情報を放り投げてしまうことが少なくない、ということだ。

 

ついやってしまうことと、その結果の例を挙げる。

 

・「あとで読む」に記事をクリップしたが、結局は読まなかった

・「欲しいものリスト」に商品を入れたが、結局は買わなかった

 

全てがそうではないが、大体において、これが当てはまることが多い。

 

「いま、やらないこと」は、優先度が低い

後回しにするということは、そこまで重要ではないということだ。

 

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それなら「はじめから、やらない」で、良い。

 

読まれない記事が溜まることはなくなるだろうし、

欲しいものリストが数ページに渡ることはなくなる。

 

「はじめから、やらない」。

 

僕らは、この賢い選択を

「情報のインプット」というものに対して

適用することが少ないように思う。

 

読まない記事のクリップ、

買わない商品のお気に入り、

使わない情報のインプット。

 

どれも「時間を無駄にする」ことにつながるが、

特に「情報のインプット」に対しては、僕らの警戒心が薄れてしまいがちだ。

 

思いつく範囲で、行動を振り返った。

 

・有益なツイートを見つけたが、理解する時間がないので、Like(いいね)だけして、後で読むことにした

・有益なブログ記事を見つけたが、ゆっくり読む時間がないので、ブックマークした

・有益なブログ記事を見つけたが、ゆっくり読む時間がない。かといってブックマークしても後で読まないと思い、新しいタブで開いてそのままにしておいた

 

挙げた例のなかで、

実際に後で読んだり理解したりすることは、かなり少ない。

 

繰り返しとなるが、

「いま、やらない」というのは、そこまで重要ではないということだ。

 

自分にとって本当に有益な情報であれば、

それを見つけた直後によく読み、よく理解するように行動するはず。

 

後で使うことのない情報を、必要だと思いこんで集めてしまう。

これは、スキマ時間に行ってしまうことが多い。

 

「短時間では深い思考はできないから、せめてこの短い時間の間に、

 後で読む情報を蓄えておこう」

 

こう考えて情報を蓄えておこう、蓄えておこうと欲張ってしまうが、

結果、その情報を後から活用することはない。

 

効率を考えて立ち回ったつもりが、

かえって無駄な時間を過ごしてしまう典型的な例だ。

 

対策する

 

情報を追うのをやめ、入ってくる情報を制限した方が、

脳内に思考するスペースが残ります。

 

対策は、 先ほど述べたとおり

「はじめから、やらない」。

 

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ただし、偶然に見つけた情報の中には、

自身にとって本当に有益なものが含まれることもある。

 

入ってくる情報を制限すると同時に、

(自身にとっての)情報の有用性を判断する力も鍛えておきたい。

 

そして、有用な情報を見つけたときはどうするか?

 

何を差し置いても、その情報に集中し、深く思考すること。

 

状況にもよるが、 命に関わるとき以外は、

その情報に集中することは不可能ではないはず。

 

偶然のチャンスも、逃さないようにしよう。

 

おわりに

 というわけで、まとめ。

 

・フローする情報を消費しない

・ストックできる情報をかみしめる

・入ってくる情報を制限する

・有用な情報には集中し、深く思考する

・情報の有用性を判断する目を養う

 

 

本日はここまで。

 

 

<引用>

「どんなに情報を追い求めても…」「情報を追うのをやめ…」

それって、必要?/筆子

 

「習慣化」されると、それが例え面倒なことでも「やらない」と違和感を覚えるという話

 

いつもと違うを楽しめるのは、それはすぐそこに、いつもが待っていてくれるからで―

 

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何かを習慣づけたいとき、どのように行動すればよいか?

 

たぶん、それを考えること自体が、

習慣づけることの妨げになっている。

 

結論としては、

「感情を排除する」

これに尽きる。

 

息をするように

 「よし、今日はやるぞ!…」

ブログを毎日更新することに慣れてない頃は、

1記事を投稿するのにさえ、相当な気合の入り方をしていた。

それが、いまはない。

 

これは悪いようで、意外とそうでもない。

 

いまはブログを書くときは、淡々と、作業するだけ。 

 

おそらくブログ記事を書くということが、

自分の生活の一部に溶け込みはじめてきて、

「習慣化」できるようになってきたのだと思う。

 

もし、

ブログを書き始めるときに気合いが必要だったり

書き終わったときに達成感が大きすぎたりする場合は、

「ブログを書くことがめんどくさい」という

感情が大きすぎるのかも知れない、と思った方がいい。

 

自然と、行う

習慣化のコツは人によって違うと思うけれど、

僕はこう思う。

 

「できるだけ、意識しないこと」

 

例えば、呼吸をするときに、

「さあ、呼吸しよう」とは思わないはず。

 

意識せずともそれを始めて、

意識しないうちに終わってしまう。

それくらいが理想。

さすがに、ブログでその領域は難しいと思うけれど。

 

何事も、意識しなくとも自然と行えることが

習慣化するコツだ。

 

違和感があれば、それは習慣化されている

習慣化できるようになってくると、

それを「しない」ことに対して、違和感を覚えるようになる。

以前、ジョギングを習慣としていたとき、

たまの悪天候で走れない日があると、どうにも気持ち悪かった。

これは「毎日走ること」が習慣化されていたためだ。

 

ブログでも同じことが起こる。

 

昨日の夜がそうだった。

一泊二日で、温泉旅行に行ってきたのだが、

家を出る前に予め、ブログを更新しておいた。

何日か家を空ける場合には、記事を早めに投稿したり、

予約投稿したりで対応する。

 

念のためBluetoothキーボードを持っていったが、結局、使わなかった。

元々、非日常は楽しむべきだという考えから

旅行している間は、ブログ執筆はしないと決めていた。

 

そうしたら昨日の夜、何がおきたか。

 

特定の時間にブログを書いていない状態が、

落ち着かなくて仕方なかった。

(下書きが前日や午前であっても、書き上げて投稿するのは夜が多い)

 

これは、僕が夜の時間帯にはブログを書いたり、

それに近いこと(読書やブログ閲覧)をしたりすることを習慣づけていたためだ。 

 

感情を排除する

習慣化されると、それをやらなかったとき、

違和感を覚えるようになる。

 

そして習慣化が進むと、

その習慣を無感情で行えるようになる。

 

呼吸するのに感情が必要ないように、

ブログを書くことにも感情を排除していく。

 

これが最強なのかな、と思う。

 

ただし、感情を排除するといっても、やりすぎは禁物。

「ブログ書くのめんどくさい」といった感情は不要だが、

「昔のネットは面白かった!」の文章に、熱のこもった感情は必要だから。

 

何事も、バランスをとることが大切。

  

おわりに

反省点になってしまうが、

せっかくの旅行だったのだから、ブログのことを完全に忘れて、

非日常をもっと楽しむべきだったなと思った。

 

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今回は家族旅行だったけど、ひとりブログ旅、というのも良いかも。

 

本日はここまで。

 

 

<引用>

スケッチブック ~full color's~/梶原空

 

 

 

 

【スマホ依存】ぼくたちはどのようにテクノロジーと共存すべきか?

  

シャワールームはテクノロジーなしで過ごせる数少ない聖域のひとつだ。

いまのところは。

 

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よく、次のように思う。

 

・自分は、スマホ依存だと思う

・近ごろ、集中できなくなった

 

 

 

そして、次のことを自覚する。

 

・スマホを使うはずが、

 スマホに「使われている」と感じる

 

・「スキマ時間に少しだけ」のつもりが、

 気がついたら長時間スマホを使っている

 

・寝る前にスマホを使うと、

 目が冴えて眠れなくなる

 

・特に理由はないのに、

 無意識のうちにスマホを手に取っている

 

 

自覚するだけではなかなか治らないのが、

スマホ依存。

「このままではいけない」と思いつつも、

気づいたらスマホばかり使っている。

 

2年近く前に書いた本記事だが、

あらためてスマホ依存に向き合うため、

リライトした。

 

スマホ依存と向き合い、

ぼくたちはどのようにテクノロジーと共存すべきか。

 

 

スマホがないころ、何をしてたのか?

いまでこそ当たり前になったスマホ。

スマホをまだ持っていなかったころ、

何をしていたのか。

 

https://images.unsplash.com/photo-1510717029971-27681a0e9da9?ixlib=rb-1.2.1&ixid=MXwxMjA3fDB8MHxwaG90by1wYWdlfHx8fGVufDB8fHw%3D&auto=format&fit=crop&w=1000&q=80

 

確かにいえるのは、

「ひとつのことに集中していた」ということ。

スマホを使い始める前はもっとこう、

ひとつのことに集中していた。

 

そのころの集中力を取り戻したい。

 

 

スマホとうまく共存する

スマホが普及したいま、

スマホ依存に悩む人は多いと思う。

 

スマホ依存を治すために、どうすればよいのか。

はじめに、何をすればよいのか。

 

それは

「急に治そうとしない」こと。

 

 

「デジタルデトックス」という言葉がある。

 

デジタルデトックスは、

・デジタル機器の使用を自発的に控えていくこと

・または、その期間のこと

 

だと言われている。

 

ぼくが思うに、このデジタルデトックスには、

2つのタイプがある。

 

1.デジタル機器を使わない「経験」だけを目的とするもの

2.デトックスによる「生活の質の改善」を目的とするもの

 

スマホ依存の人が目指すべきは、

2.の「生活の質の改善」だ。

 

よくありがちな

「一泊二日の間、生活から

デジタル機器を完全にシャットアウトする!」

というのは、1.にあたる。

 

キャンプの際に試しても良さそうなものだが、

この「完全なシャットダウン」+「短期間」

という組み合わせは、

スマホ依存を治すためにはあまり効果がない。

 

もちろん、短期間であっても

「デジタル機器を完全にシャットダウンして、

濃密な時間を過ごせる」というメリットはある。

デジタルデトックスという「経験」だけを目的とするならアリだ。

 

ただし、その「経験」は、

完全にシャットダウンした期間が終わると同時に、

「デジタルデトックス・キャンプに行ってきました!」

という内容でSNSに投稿されるのだろうな、と思う。

そして普段どおりの、スマホ漬けの毎日がはじまるのだろう。

 

スマホ依存の人が目指すべきは、

2.の「生活の質の改善」だ。

 

そのために、

スマホとうまく、共存しよう。

 

スマホに依存する弱い自分を受けいれ、

スマホを工夫して使おう。

 

余談だが、2015年のライフハッカーの記事と、2019年の記事ではそれぞれ逆の意見となっている点が面白い(前者はスポンサードの記事だが)。これは別に皮肉でもなんでもない。考え方や価値観がアップデートされるのは素晴らしいこと。

 

 

今日からできる、スマホ依存対策

ここからは、具体的な対策を挙げていく。

 

■1.通知を切る 

はじめに取り掛かりたいのが、

「通知を切る」だ。

 

スマホ依存における「通知」には、

2種類が存在する。

 

1つめ、スマホが発する通知。

2つめ、自分自身が発する通知。

 

2つめの「自分自身が発する通知」については、

この記事では省略する。

 

「スマホが発する通知」について。

 

多くのアプリは、初期の設定では

通知(Notification)がオンになっている。

 

まずはこの通知を、可能な限りオフにする。

 

 

理想としては、

「すべてのアプリの通知を切る」

だけど、現実的にはむずかしい。

 

緊急の連絡を逃さないために、

電話や、メッセンジャーアプリの通知くらいは

残していてもいいだろう。

 

ガラケー時代の通知といったら、

「電話の着信」か「メール」くらいのものだった。

それに合わせるイメージ。

 

 

何の考えもなしにスマホを使うと、

多くの通知を受け取ることになる。

 

「おすすめのニュースがあります」

「新しい投稿があります」

「スタミナが回復しました」

「いいね!されました」

 

これらの通知が、いまの自分に必要かどうか。

改めて、考えてみるべきだろう。

 

「全ての情報を、知る必要はない」

そういう心がけを持つことだ。

 

メッセンジャーアプリの通知は、相手ごとに設定するのがオススメ。

優先度の高い相手の通知だけオンにしておいて、

それ以外のアカウントはミュートにしておこう。

 

 

 

■2.「何もしない時間」を大切にする

 

スマホを持つようになってから、

「暇だな」と思うことが少なくなった。

 

たまに「暇だな」と思う瞬間はだいたい、

すぐにスマホを手に取れない状態にあるときだけ。

 

以前は、暇だなと思いながら、

ボーッと過ごす時間が

一日の中でいくらかはあった。

 

スマホを持つようになってから、

それがほとんどなくなった。

 

スキマ時間は、ついスマホに手が伸びる。

気持ちは分かる。

ぼく自身も、そうしてしまうから。

 

つい、スマホに手が伸びる。

そういうときは、いったん、立ち止まろう。

 

スマホの誘惑を断つためには、 

「スマホで、何をしたいのか?」

と自問してみよう。

 

手に取る前に、考える。

「スマホで、何をしたいのか?」

 

これを意識しはじめると、

自分が思っている以上に、

「いま必要でないのに、

スマホを操作しようとしている」ことに気づく。

 

これならまだいい方で、

ひどくなると、

「無意識にスマホを手にとっていた」

ということもある。

ここまでくると、それはもうスマホ依存だ。

 

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マインドワンダリング、という言葉がある。

 

日本社会心理学会のサイトでは、

マインドワンダリングについてこのような記述がある。

現在行っている課題や外的な環境の出来事から注意が逸れて,自発的な思考を行う現象である

(「wander」は、さまようという意味)

 

マヌーシュ・ゾモロディ著

「退屈すれば脳はひらめく(原題:Bored and Brilliant)」

には、次の記述がある。

 

ルイヴィル大学哲学科の研究者で、退屈の擁護者を自任するアンドレアス・エルピドローはこう説明します。「退屈はこれまでの目標に満足できなくなったときや、魅力や意義を見いだせなくなったとき、つぎの目標を見つける原動力になる」。彼は2014年の「退屈の明るい面」というタイトルの学術論文で、こう論じています。退屈は、「その人が本来やるべきことをやるよう、うながす。もしも退屈しなければ、本来の実力に合わない状況に囚われたまま、感情的にも、認知的にも、社会的にも、有意義な経験をするチャンスを逃してしまうだろう。退屈は、自分が本当にやりたいことをしていないぞと警告してくれ、同時に私たちが目標や仕事を切り替えるのをうながしてくれる」

 

スキマ時間やそれ以外の時間における「退屈」。

これを「ひらめき」に変えられるかも知れないなら、

ボーッとする時間も、悪くない。

 

 

■3.検索に頼らない

ぼくは、もし相手がそれを許してくれるのであれば、

ぐぐれば分かることを、わざと相手に聞くことがある。

これはいくつかの効果がある。

 

・会話のネタになる

・相手も、自分も、頭を使う

 

スマホで調べて自己完結するのではなく、

会話そのものを楽しもう。

 

ぐぐるのは、質問の後でいい。

「たぶん○○だと思う」と、仮説を立ててからの検索して、

答え合わせをしてもいいだろう。

ぼくはこれを、母親とのコミュニケーションでよく使っている。

 

 

■4.大切な人とは、直接話そう

 

久々に会う友人と会話をして、解散するときに

「話し足りない」と感じることはあるだろうか。

 

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もしそれがあるなら、よりよい関係だといえる。

逆に「話足りない」と思わなかったり、

そもそも会った時点で

話すことが少ない」と感じたりする場合は、要注意。 

 

スマホを通した事前の情報共有、

例えば「普段からLINEで頻繁にやりとりしている」といったことが多いと、

久々に会った友人との会話で、驚きが少なくなる。

たまの再会を楽しむなら、事前の情報共有は最小限にとどめよう。

 

 

■5.外部のチカラに頼りすぎない

デジタルデトックスのプログラムや、

スマホの利用時間を制限するアプリ。

 

これらはあくまで「補助的に」使うもの。 

 

大切なのは

「自分自身の力で、スマホとうまく付き合うこと」。

 

セラピーやアプリは助けにはなるが、

自分自身でスマホ依存に向き合うことが、最も大切。

 

ぼくたちがスマホ依存を克服しようとしても、

多くの企業が

「スマホを、いかに多くの人に、

いかにたくさん使わせるか?」

という視点のもと、魅力的なサービスを打ち出してくる。

 

スマホの誘惑を断ち切るために

できることからはじめていこう。

 

一日に、ひとつのアプリの通知を切る。

または、アンインストールする。

少しづつでも、かまわない。

 

 

  

 おわりに 

もはや僕たちは

「テクノロジーを拒絶して生きていく」ことが、難しくなっている。

 

ならばせめて、そのテクノロジーと付き合っていくために

うまく立ち回っていくべきだろう。

 

 

本日はここまで。

 

 

<引用>

「シャワールームは…」/ゴールデン・クリシュナ