「なにもしない時間」を意図的につくる

 

すべての情報を知る必要はない

 

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一日のなかで、少しだけ

「なにもしない時間」をつくる。

 

通勤バスの中で、スマホを触らずに、

ぼーっとしてみる。

 

惰性でスマホを触りたくない

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公共の場でスマホを使いたくない。

 

もっと言うと、

「目的もなくスマホを使っているときに、

その姿を見られたくない」

 

自意識過剰だけど、

惰性でスマホを使っている姿を見られたくない。

 

 

惰性でスマホをスクロールしてる姿って、

オフィスで意味なくマウスをカチカチ鳴らすのに似てる。

 

オフィスでマウスのクリック音だけが響いていると

「何の仕事してるの?」と思うわけ。

 

スクロールやクリックはせいぜい

「読む」「進める」「選択する」

くらいしかできない。

 

話したり、書いたり、

キーを打ったりしているなら

何かを作ってると思うけど、

クリック音だけが響くならそうは思わない。

 

クリック音だけが響いていると

「あ、コイツは仕事してないな」と判断してしまう。

(極端すぎるけど)

 

スクロールしても得られるものは少ない

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一方、目的があるなら、

公共の場だろうがどこだろうが、

スマホをガッツリ使ってる。

何か書いたりLINEでやりとりしたり。

 

 「惰性で使ってるところを見られなくない」

こともあるけど、それ以上に、

 

「スクロールして細切れの情報を大量に浴びても、

得られるものは少ない」

と考えている。

 

せっかくスマホを使うなら、

有益に使いたい。

 

意図的に「なにもしない」

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通勤バスの中で気づいた。

 

自分が思っていたより、

スマホを使ってる人が少ない。

 

少し前は、

公共交通機関で移動すると、

みんなスマホを見つめていて

異様に感じることがあった。

 

マジで全員スマホ触ってんじゃないか

と思うほどだったけど、

最近はそうでもない。

 

「スマホ触ってない人は一体なにしてんだよ」

と思って観察してみたら、

「なにもしてない」人がちらほらいる。

 

 

本を読むとか、音楽を聴くとか、寝るとかじゃなくて、

本当に「なにもしてない」。

 

それを見て、

なんかいいな、と思った。

 

ぼーっとしていると、脳が休まる。

そしてたまに、良いアイデアがひらめく。

 

このひらめきのために、

バスの中でAudibleを聴くのをやめて

ぼーっとすることがよくある。

 

情報をインプットしようとか、

アウトプットしようとか考えずに

ぼーっとしているときの方が、

良いアイデアがひらめきやすい。

 

お風呂に浸かってるとき、

たまにこういう状態になる。

 

貴重な時間を割いてまでぼーっとするのは、

ひらめくチャンスを増やすため。

 

お風呂だとせいぜい

一日に30分くらいなので、

バス通勤の片道くらいは

ぼーっとして

チャンスを増やしたい。

 

車内で見た

「なにもしてない」人たちは

何を考えていたんだろう。

 

何か良いことを思いついていたら

面白いけど。

 

 

それではまた明日。