【心に、余裕を】80年代のCMに学ぶ「自分の人生」にフォーカスする生き方

 

無料で何かが手に入るといい気分になることはだれでも知っている。じつは、値段ゼロは単なる価格ではない。ゼロは感情のホットボタン、つまり引き金であり、不合理な興奮の源なのだ。

 

みんな、疲弊してる。

 

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日本人に、余裕がない。

精神的な余裕、というのだろうか。

割とみんなピリピリしてるな、と思う。

 

そういえば、自分もそうだったなと思い出す。

いまでこそ、割とストレスフリーな生活をしているけれど、

仕事で忙殺されていた頃は、毎日に余裕がなかった。

 

心の余裕、大事。

 

日本人は、がんばりすぎ。

仕事に家事に学校に、がんばりすぎてる。

 

がんばり屋さんの皆さんにおすすめしたいのは、

適度に「ゆるく」生きること。

 

大切なことはひとつ

「自分の人生に、フォーカスする」。

 

余裕があった時代

 

まずは、この動画を見て欲しい。

 


80年代のコカ・コーラのCM集。

皆、キラキラと輝いている。

 

これがCMの演出(*1)である点や、

バブル景気の真っ只中であった点を抜きにしても、

人々に余裕があった時代だと思う。

(*1)このCMが俳優だけではなく、市井の人たちの暮らしを切り取ったシーンも多いという点にも留意したい。

 

「労働時間」という点では、

現代より長かった(*2)と言われているこの時代。

(*2)近年は、パートタイム労働者比率の高まりにより、労働時間は減少傾向で推移している

 

この時代が輝いて見える一方、

 ”現代の日本に、余裕のない人が増えた”

 

そう感じるのはなぜか?

 

余裕を持って生きる、とはどういうことか

 

「余裕がない人」たちについては、

以前の記事で少し触れている。

 

日々の生活で消耗している人たちが、オンライン上でも消耗してる、という記事。

この記事では、

「自己肯定感が低い人ほど、他人に対して否定したがる」

「他人の人生ではなく、自分の人生を生きるべき」

といったことについて語っている。

 

こちらの記事も、近い内容のもの。

 

あらゆる方向から攻撃が飛んでくるインターネットに関する記事。

「人の批判をする人は生産性が低い」

「それらの人たちを分断するテクノロジー

について語っている。

 

「余裕がない人」たちに、共通していえることがある。

 

「他人の人生を生きている」。

 

それはそうだよな、と思う。

他人の人生に口出しなんかしていたら、

自分の人生にフォーカスする時間なんてなくなる。

 

批判することで得られる、一瞬の「快楽」と引き換えに、

自分の人生を、ジリジリと、すり減らしていくようなもの。

 

スマホのタップひとつで得られる快楽のことを、僕は

「インスタントな快」と呼んでいる。

 この記事では、自分の人生ではなく他人の人生に生きる人たちを、

「余裕のある人たち」と表現している。これはなかなかに皮肉が効いてる、と思う。

 

本当の意味で余裕を持って生きていくためには、

「自分の人生にのみ、フォーカスすること」。

 

他人にフォーカスすることは非常にコスパが悪いことを、

よく理解しなくてはいけない。

 

昔は皆、自分の人生にフォーカスしていた

 

ブログ記事にある「余裕のない人」が生まれた背景として、

 

「他人の人生が、可視化されすぎている」

 という点が挙げられる。

 

現代はあまりにも、

他人の人生が入り込む余地が多い。

 

例えば、先ほど紹介した80年代コカ・コーラのCMの時代。

この頃は、スマホはおろか携帯電話さえ、広く普及はしていなかった。

 

この頃に目にする他人の人生といえば、

家族や友人、職場の同僚 といった、限られた範囲だけだった。または、

新聞やテレビで見る、著名人や有名人 といったところか。

 

この時代に「他人の人生を生きる」人なんて、

殆どいなかったように思う。

 

学校が終わってから、

仕事が終わってから、

家事が終わってから。

 

それぞれ「自分の人生」にフォーカスする時間を、

現代よりも多く取っていた。

 

手のひらサイズのディスプレイに目を落とし、

「他人の人生」にフォーカスすることはなかった。

 

現代は、何もかも可視化されすぎている

 

月に数千円の維持費で使える、スマートフォン

そこから得られる情報の殆どは「無料」だが、

僕たちはそれと引き換えに、大切な時間を多く失っている。

 

それを助けているのは、

「人々の可処分時間をいかに奪うか?」にしのぎを削っているテック企業や、

その企業が提供するテクノロジーだけでない。

 

ほかでもない、僕たち自身だ。

 

僕たちが「いいね!」欲しさにアップロードする写真の積み重ねで、

今日も人々の人生は地球の裏側まで拡散されていく。

(懺悔とは違うが、僕も今日、撮影した写真をSNSにアップロードした。

 普段からインターネットへの過度な没入を戒める意識を持っている僕でも、

 インスタントな快から逃れるのは難しい)

 

テクノロジーの恩恵はありがたく受けつつも、

それらをうまく使っていきたい。

 

おわりに

 

この記事も、他人の人生を生きていることになるのだろうか。

そう思う瞬間もあった。

しかし、本質的なことを繰り返し伝えることには、意味があると考えている。

 

実は、今日は労働についての記事を書こうと思っていたが、

途中まで書いてからコカ・コーラの動画を見たら、

テーマが途中で変わってしまった。

それはまた次の機会に。

 

 

本日はここまで。

 

 

<引用>

予想どおりに不合理(原題:Predictably Irrational)/ダン・アリエリ