ゆるりインターネット/寛容になり消耗を避けよ

よけいな思考を手放すと、行動が変わります。

行動が変われば、それが新しい視点をもたらします。

  

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みんな消耗してるな、と思う。

 

日々の生活で疲弊している人たちが、

オンライン上で、さらに消耗してる。

 

・自己肯定感が低い

・自己にも、他にも、寛容ではない

 

オンライン上で見た場合に限ってだけど、

 この2つがよく見られる。

 

自己肯定感が低いと、消耗しやすい。

他者にも、自分にも寛容になると、楽になる。

そう思う。

 

自分にも他人にも厳しい人たち

以前も話したけれど、エネルギーの無駄遣いをする人が増えてきた。

自分に関係ないことで怒る人たちのことだ。

 

自己肯定感が低い人ほど、他人に対して否定したがる

「逆じゃないの?」と思われるかも知れない。

このことを、分かりやすく表現したツイートがある。

 

 

・自分を認めない代わりに、他人も認めない。

・物事の表面だけを捉えて、批判する傾向にある。

・良い・悪いの片方でしか事象について言及できない。

・0か1でしか考えられない。

 

僕がTwitterでよく見かけるのは、こういったパターンの人たち。

基本は秒速でミュートしてるけど、

気まぐれにホームを覗きにいくと、案の定、

同じような発言・RTを繰り返している。

 

Twitterの場合だと、直接的な批判をせずとも、

批判的なツイートにLikeをつけたりRTしたりする行為は

批判をしているのと同じこと。

他人の人生に生きる人は、

消費されるだけのニュースに対しての反応が早い。

 

そこにエネルギーを使うから、

自分の人生を生きるエネルギーが不足する。

 

他人の人生に生きることは、無意味だ。

 

"インスタントな快" の副作用

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僕が度々話題にしている

「他人を批判している暇があったら、

自分の人生をよりよくすることに注力すべき」

という考え方。

 

一方、

「この記事自体も、誰かを批判している人を批判しているじゃないか」

そういう見方もできるだろう。

そう言われてしまえば、確かにそうかも知れない。

 

それでも「他人の人生ではなく、自分の人生を生きるべき」というメッセージは

多くの人に届いて欲しいと思う。

 

厄介なのは、批判する行為が、

それをする人自身に何らメリットをもたらさない場合が多いこと。

もちろん、公共の利益につながることであれば、批判や拡散も必要だろう。

もしそうでないなら、行動に移す前に立ち止まって考えるべきだ。

 

その一瞬は、心地よいかも知れない。

でもその一瞬の積み重ねは、自身の停滞という、

長期的な副作用を生む。

 

僕らは「インスタントな快」から遠ざかるべき。

 

1タップのLike・RTの誘惑に負ける前に、立ち止まって考えて欲しいと思う。

 

他者への批判は、

自分に何らプラスの影響を与えないことは理解すべきだろう。

 

おわりに 

批判をする人は、ある意味では優しいのかもな、とも思う。

 

他者への共感性が強いということだから。

 

程度の問題かとは思う。

身近な人への批判までに留めるか、

遠い誰かの批判まではじめるのか。

 

テクノロジーは健康的に使いたいものだと思う。