【基本の考え方】「ネガティブを遠ざける」ことで集中し、生産性を高める【訓練は可能】
おまえは自分に信用を守ることを要求できるが、同じことを他人に要求できない。おまえは人に優しくすることができるが、同様なことを人に期待してはいけない。おまえが他人を扱うように、他人がおまえを扱うとは限らない。これを理解できないと人生は苦痛が溜まるばかりだ。
ブログを、静かな環境で書きたい。
周りが騒がしく、集中できないことはないだろうか。
「集中力を高める方法」は世の中に溢れているけれど、
どれも、実践するのが難しい。
こういうときは「集中力を高める方法」といった限定的な考え方でなく、
「ネガティブを遠ざけること」という考え方で解決できる。
「ネガティブを遠ざけること」で、集中できるし、生産性も高まる。
ネガティブを遠ざけ、集中し、時間を有効に使おう。
ファストフード店でのできごと
この記事の下書きは、昼にファストフード店で書いた。
本当は美味しい店でも探そうと思っていたけれど、
この暑さの中、歩いていたら倦怠感におそわれた僕は、
体調を崩す前に、避難してきた格好だ。
空腹のまま歩き回ると、熱中症のリスクが増大する。
涼しい店内は、電源もWifiも完備していた。しかし…
物理的環境に恵まれたここは、精神的環境に恵まれなかった。
問題1:騒がしい
店内のBGMや話し声は、イヤホンで音楽を聴いていても、気になった。
問題2:さらに、ひときわ騒がしい人に遭遇
少し離れた席で、携帯で延々喋ってる高齢女性がいた。
気にしたくないが、どうしても、話し声が意識の中に入ってきた。
心を落ち着かせる
今日みたいなケースでは、つい「うるさいなあ」と思ってしまう。
理想は、ネガティブな思考を持たないことだが、
持ってしまっても、すぐにそれを打ち消す訓練をすると良い。
経営コンサルタントの小宮一慶さんの著書で、こんな記述があった。
怒らないようにしよう、不安にならないようにしようと、そういう気持ち自体をなくしてしまうのはむずかしい。でも、その怒りの時間だとか不安の時間をどんどん短くしていくことはできる
これは、小宮さん自身が以前にテレビか何かで見た実験のことについての話。
ーーー
・お坊さんと普通の人に、脳波計を付けて、座禅をしてもらう
・彼らの前に、わざと20人くらいの幼稚園児を歩かせる。騒がしく、座禅している側の気持ちは乱れ、それが脳波にあらわれる
・修行を積んでいるはずのお坊さんの方が、普通の人より脳波の乱れが大きかった
・しかし、幼稚園児がいなくなった後にお坊さんの脳波は元の静かな波に戻った
・一方、普通の人の方は、乱れた脳波がなかなか元には戻らなかった
ーーー
この本を読んだのは10年近く前だが、特に印象に残っている。
お坊さんのような心の切り替えは、訓練すれば僕たちにも可能だ。
今日のファストフード店においては、それがよくできたと思う。
実際、途中からは自分の作業に集中することができた。
(クラシックを聴かせてくれるイヤホンの功績は大きいが)
多くに共通していえることだが、
コントロールできないものに意識を割かない
ことが大切だ。
そして基本となるのは、ネガティブを徹底的に遠ざけること。
ネガティブを徹底的に遠ざける
過去の記事でも話題にしていること―
「時間は有限、他人は批判せず、自分はただ積み上げる」
「心を乱されないように、小さな単位で情報を遮断する」
「他者にも、自分にも寛容になる」
こういったことは、基本的にすべて
「徹底的に、ネガティブを遠ざける」ことが根底にある。
僕にとっての考え方だが、改めておさらいしておく。
◆「時間は有限、他人は批判せず、自分はただ積み上げる」
ここでのネガティブは「批判」。
どこに行っても、人の批判をしている人がいる。
公共の利益になることでない限り、そういった批判は時間の無駄。
オンラインの場合は、批判的な投稿にLikeをつけたり、
RTで拡散したりする行動自体も批判の一つと受け取っている。
僕はそういう投稿を見つけたら、即、ミュートしている。
これはその人が嫌いとかそういう問題ではなくて、
ただ単に見る必要がないから、という理由。
ちなみに、ブログのネガティブ記事は気にしていない。
ブログは記事単位で「読まない」選択ができるが、
Twitter等のSNSでは、嫌でも全文が目に入ってくるからだ。
そういったものは遠ざけて、するべきことに集中したい。
他人を批判しても、自身の成長にはつながらない。
◆「心を乱されないように、小さな単位で情報を遮断する」
ここでのネガティブは「悪いニュースと、それに反応する人たち」。
僕は、ネガティブなニュースは、概要以上のことを知ろうとしない。
ただし、国際ニュースのネガティブ報道は別。もっと具体的に言ってしまうと、
自身や自国の安全が脅かされるおそれのある問題は知る価値がある。
これは完全に、リスクを避けるための行動。
押し寄せる情報の洪水から、身を守る。
◆「他者にも、自分にも寛容になる」
ここでのネガティブは「他人に対する期待」。
前提として、コントロールできないものに意識を割かないのはもちろん、
他人に対する、一切の期待を捨てる。
先ほどの「高齢女性」の話し声で気が散ったとしても、
それが当たり前くらいの感覚でいることが大事。
むしろ、そこに自分が行ったこと自体や、
話し声くらいで気が散ってしまう僕自身に原因があると考える。
ただし、集中できないことで自分を責めるようなことはしない。
「コントロールできないものに意識を割かない」と同時に、
「ただその事実」だけを認識する。
・騒がしいお客さんがいる
・自分はそこにいる
これらの事実が「あるだけ」。
事実は認識しつつ、無感情でキーボードを叩く。
これだけで、集中しやすくなる。
余計な期待や感情は、手放そう。
おわりに
ファストフード店に入ったとき、
僕はこの記事とは全く違うことをテーマに下書きしようとしていた。
そうしたとき、この記事の出来事が起こったため、
そのまま記事にした形となった。
そういう意味では、記事のテーマの助けとなった
「騒がしい人」も、ネガティブな面だけじゃない。
明日からも積み上げていきましょう。
<引用>最期に書いた息子への家書/梁続璋
(「おまえは自分に信用を…」)