スマホは「暇な時間」と「思考力」を奪った
受動的インプットをしているときに求めているのは、
「新しい情報を得ること」そのものであって、
情報から何かを得たり、生み出したりすることではない
スマホを使いはじめてから、
日常で「暇だ」と感じにくくなった。
実は「暇だ」と感じにくくなったことは、
インターネットの登場以降から感じていた。
それが、スマホを使いはじめてから、
ハッキリと自覚するようになった。
「暇じゃないことは、いいことじゃないか」
と思われるかも知れないけど、そうでもない。
一見して
「退屈しない時間を過ごせた」ようだが、
実は
「時間の使い方には満足しなかった」
ことが多い。
スマホは「暇な時間」だけを奪うわけではない。
入ってくる情報を制限しないと、
「時間」と「脳のスペース」も奪われて、
何も得られなくなる。
スキマは常に埋められる
インターネットやスマホの登場で、
2つのスキマが埋められた。
1つめは、スキマ時間。
作業の合間や、待ち時間や、移動中。
そういう「まとまってない時間」があると、
ついスマホを取り出してしまう。
スキマ時間はスマホでSNSやニュース。
そんな使い方が染み付いてしまった。
2つめは、脳のスペースとしてのスキマ。
脳は入ってくる「あたらしい情報」を受け取るだけで精一杯。
なにかを「考える」ためのスペースが残らない。
スキマは常に埋められる。
「あたらしい情報」は心地よい
ぼくも注意しているが、
スマホであたらしい情報を得るのは
心地よい。
スキマ時間さえあれば、
ついスマホを取り出してしまい、
SNSやニュースに夢中になってしまう。
情報そのものではなくて、
「あたらしい情報を得ること」に快感を得ている。
パソコンやスマホのページをめくるごとに、脳がドーパミンを放出し、
その結果、私たちはクリックが大好きになる。
しかも実は、今読んでいるページよりも次のページに夢中になっているのだ。
インターネット上のページの5分の1に、
私たちは時間にして4秒以下しか留まっていない。
10分以上時間をかけるページは、わずか4%だ。
(『スマホ脳』/アンデシュ・ハンセン)
多くのスキマ時間が「あたらしい情報」で埋められて、
「暇だ」とは感じにくくなった。
その代償として、ひとつのことに集中できなくなった。
情報を消費せず、かみしめる
入ってくる情報を制限しないと、
時間も、脳のスペースも奪われる。
情報を過剰に摂取すると、
深い思考が妨げられる。
小さな単位の情報を大量に摂取すると、
その処理に追われてしまう。
小さな単位だからダメなのではなく、
「大量に」摂取するのがダメ。
自分にとって有用だと思う情報なら、
小さな単位であっても関係ない。
「これだ!」と思った情報に対しては
考えをめぐらせてみよう。
流れてくる情報を「消費」するだけで終わらせず、
自分の中に蓄えられる情報として「かみしめる」必要がある。
思考力を取りもどすために
大量の情報に押し流されることなく、
集中し、考えるために、
次のことを意識しよう。
・入ってくる情報を制限する。
・有用な情報には集中し、深く思考する。
・情報の有用性を判断する力をつける。
それではまた明日。
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