他人の人生にフォーカスするな、顔を上げろ
他人の人生が、可視化されすぎている
定期的にやってくるレトロ欲が高じて、
昔のCMをYouTubeで見まくってる。
昔のCMって攻めまくってるよね。
今じゃゼッタイに放送できないような内容が
バンバン放送されていた。
昔のミスドのCMが攻めすぎてて好き
短すぎる4分間。
マジで時間を忘れてみてしまった。
現代は規制が厳しい
CMに限らず、
ドラマやバラエティなど、
現代のTVは規制が厳しい。
タバコなんて、CMはもちろん
ドラマでもほとんど見られなくなった。
タバコのCMこんなにカッコよかったんだ…
僕の時間に火を灯す
香りが聞こえてくる。
カッコよすぎる。
ミスドのCMなんかも
現代ではゼッタイに放送できない。
個人的には、
ああいうブラックユーモアが世間で許されるくらいの
余裕があって欲しい。
他人の人生にフォーカスするな
心に余裕がないと、
自分の人生にフォーカスできなくなる。
以前の記事で、
ぼくは次のように書いた。
この時代に「他人の人生を生きる」人なんて、
殆どいなかったように思う。
学校が終わってから、
仕事が終わってから、
家事が終わってから。
それぞれ「自分の人生」にフォーカスする時間を、
現代よりも多く取っていた。
手のひらサイズのディスプレイに目を落とし、
「他人の人生」にフォーカスすることはなかった。
少し前に話題となった
アンデシュ・ハンセン著
『スマホ脳』において、これに近いことが書かれている。
まずは、本書で引用されている
セオドア・ルーズベルトの言葉から。
比較は喜びを奪う。
次は、ハンセン自身の言葉を引用する。
今の子供や若者は、
クラスメートがアップする写真に
連続砲撃を受けるだけではない。
インスタグラマーが完璧に修正してアップした画像も見せられる。
そのせいで
「人生とはこうあるべきだ」
という基準が手の届かない位置に設定されてしまい、
その結果、自分は最下層にいると感じる。
本当にその通りなんだよね。
分かってはいるんだけど、
つい忘れて、比較してしまう。
過去の記事を読んで、
また思い出せてきた。
自分の記事ながら、
これから先も
繰り返し読むことになりそう。
それではまた明日。