【ブログ】需要も見た目も考えずに自分のために書きなさい

 

あることが習慣化されると、それが例え面倒なことでも

「やらない」ことに対して違和感を覚えるようになる

 

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どうやって書いていたのか思い出せない。

 

どうやってテーマを決めて、

どうやってあの文量を生み出していたのか思い出せない。

 

ブログの書き方を忘れてしまった。

 

書くことが当たり前だったあの頃

毎日更新をやめた頃は忙しく、ブログに費やせる時間は少なかった。

前回の更新は2ヶ月以上前。

たびたび「書かないと」と思いつつも、毎日をダラダラと過ごしていた。

たまに書き始めてもすぐに集中が途切れて、別のことをしてしまう。

 

書かない時期が長くなると、こうも書けなくなるものかと驚く。

 

 

習慣のチカラは大きい。

 

 

あの頃は毎日書くことが当たり前だったから、

書かない」という状態が気持ち悪かった。

 

いまは逆。

「書かない」ということが当たり前。

 

書こうとしても、習慣になっていないから、すぐに挫折してしまう。

 

すぐに集中が途切れて、スマホでのSNSや動画視聴を始めてしまう。

 

ブログでも何度も触れたテーマ

・「集中」について

・スマホ依存について

など、あれだけ書いていても、それらを実践するのは難しい。

 

仕事以外の余暇時間の使い方も、

ほとんどが消費行動になってしまった。

 

余暇時間はゲームに費やした。

いつも同じ、オンラインの対戦ゲーム。

せめてもっと別、例えば一人用のゲームなら、まだ充実感がある。

オンラインの対戦ゲームはやりすぎるとよくない。

顔の見えない相手にイライラしながらプレイするのはストレスが溜まる。

まあスマブラのことなのだが。

よくもまあ飽きずにプレイするものだ、と思う。

 

同じソフトをプレイするのはお金がかからない代わりに、

他の魅力的なコンテンツに触れる機会が減ってしまう。

お金がかからない代わりに、大きなデメリットを負ってしまう。

 

魅力的なコンテンツはゲームに限らない。

映画でもドラマでもいいし、書籍でも漫画でもいい。

対戦ゲーム以外にも楽しむべきコンテンツに触れる機会が減るのはもったいない。

 

そういえばAmazonプライムにビデオで、

石坂浩二版の金田一耕助シリーズがすべて配信されるようになった。

以前は犬神家の一族だけだったはず。

先日は「悪魔の手毬唄」を観た。

ストーリーもさることながら、古い映画の良いところは役者の演技力の高さ。

あとは女優さんがマジでキレイ。

犬神家の島田陽子さんや、悪魔の手毬唄の仁科明子さんとか。

やべえ。ただでさえ貧弱な語彙がさらに貧しくなる。

 

脱線した。ブログの話に戻る。

 

下書きは感情のままに書き殴れ

 

アウトプットの量にこだわるなら、

下書きはひたすらテキストベタ打ちが良い。

 

改めて思うのは、

下書きは荒削りでいいから一気に終わらせてしまう

ということ。

 

元々、書くスピードが遅かった。

その理由のひとつに

「体裁にこだわるから」というものがある。

引用したり、改行の位置やフォントの大きさや色にこだわったり。

 

そういった

「書くことそれ自体に集中できない要素」

を排除しようとした結果、

いまこうやってGoogleドキュメントにテキストベタ打ちで書き込んでいる。

この記事はある程度の体裁を整えているが、元の下書きは

 

・テキストベタ打ち

・改行やフォントサイズなど、体裁は一切整えない

 

ものだった。

 

通勤のわずかな時間を使って、感情のままに書き殴っている。

 

書き殴るといい点はいくつかある。

・体裁を気にしないから、スピードが早い

・深く考えず一気に書き上げた方が、ひらめきやすい

 (この記事にひらめきがあるかどうかは別として)

 

「その瞬間にひらめいたこと」を書き留めるには

Twitterも適してはいるが、文字数制限の問題がある。

ツイートにリプライを連ねることによって一連の文章を作ることはできるが、

書きなぐる場合においては、リプライの時間さえも惜しい。

 

一瞬でも思考が途切れるとそのまま失速しかねないし、

文章が中途半端な位置で区切られてしまう。

「この部分からは次のツイートから書き始めよう」

などと考えていると、思考が中断する。

 

書きなぐることの効果は思ったよりも大きい。

 

書いているうちに別のテーマを思いつくこともあるが、

こういうときに体裁を気にして別ドキュメントを立ち上げるようでは駄目。

テーマやジャンルに関わりなく、ひたすら書き殴る。

 

長文を書いて一見まとまりがない文章になったとしても、

一番伝えたいことやひらめきは強い印象に残る。

 

他人の書いた長文は、一見しただけでは要点を捉えにくい。

しかし書いた本人にとっては「自分の思ったままの文章」だから、

要点が分かりやすい。

 

要点を踏まえた上で、荒削りではあるが下書きがあるから、

それをもとに、記事を作るのはたやすい。

 

下書きは深く考えず、感情のままに書き殴る。

 

まずは自分のために書く

 

ブログを再開するためのリハビリとしては、適した方法だと思う。

 

 

そんなワケで、しばらくはリハビリとして

需要も見た目も考えずに、自分のために書きたいと思う。