情報の洪水の中で立ち止まれ/昔のインターネットに思いを馳せて
まるでボトルメールやアマチュア無線を送り合うような、交信をしている相手はいるけどその間をガラスのような強固な障壁がはっきりと阻んでいるような感覚、あの頃確かにあったそれが今の風通しが良くなりすぎた世の中にはねえんだ。
昔みたいにインターネットを使いたい、と思う。
ここ15年ほど、インターネットにときめかない。
検索するときのワクワクがない。
見てはいけないものを覗き見てしまったような、ドキドキもない。
情報の総量は増えたけど、興味を惹かれる情報は減った。
この変化は、どこから始まったのだろう。
このはてな匿名ダイアリーは秀逸だった。
冒頭の引用もこちらからお借りした。
引用ばかりで恐縮だが、他にもいくつか。
俺は寂れてホコリを被った廃墟を見に来たのに、廃墟マニアの人が足繁く通ってゴミ拾いや清掃をするせいで滅びているなりに小ざっぱりとしてしまっているのが嫌だ、みてーな感じかな
空気の淀みが足りねえ。
誰もが近すぎる。
どうしようもない奴らをもっと孤独にしておいてくれ、その孤独の中で産まれたものが俺は見たいんだ。
読んでいて「わかる!」「わかる!」と言わずにはいられなかった。
現在のインターネットでは、「このサイト、俺しか見てねーんじゃねえの?」
って思えるようなサイトが、なくなった。
存在はしているが、検索に引っかかりにくくなったサイトもあるだろうけど。
「速い」ことは良いとは限らない
今日のバズりは、明日のバズりに掻き消されるだろう。
情報の流れが速くなった、と思う。
SNSの登場以降、それが顕著になった。
何よりも、情報の速報性が重視される。
それが例えフェイクニュースであっても。
「遅いインターネット計画」というのをご存知だろうか。
評論家の宇野常寛さんが提唱しているもので、
短くまとめると
「Google検索の引っかかりやすいところに、良質な読み物を置くこと」
を目的とした運動のことだ。
参考リンク
TwitterなどのSNSは週刊誌やテレビの受け皿と化した。
そんなSNSの炎上やバズりを無視して、
本当に価値のあることだけをゆっくり考える場を作りたい。
そんな想いから生まれた「遅いインターネット計画」運動。
宇野さんは、次のようにも語っている。
現在のインターネットは人間を「考えさせない」ための道具になっています。フェイクニュース、陰謀論、そして無数の「炎上」。ネットサーフィンという言葉が機能し、インターネットが万人に対しての知の大海として開かれる可能性は、つい最近まで信じられていたはずですが、もはやそれは遠い遠い過去のような錯覚を私たちに覚えさせます。
先ほど紹介して匿名ダイアリーとはまた違った切り口での内容で、
こちらも読んでいて頷くところしかなかった。
一昔前に「ググレカス」という言葉があったが、
現在のインターネットにおいて、正しい情報を検索することは、
非常に難しくなってきている。
検索ひとつとっても、情報リテラシーが求められる時代に突入している。
もう一度、あの頃のインターネットを
そこにしか書いてないことが知りたいんだ。
ぐぐって偶然に開いたサイトで
「俺はこう思う!ぬん!」みたいな、
強烈なインパクトを発しているサイトを見たい。
昔はYahoo!のカテゴリにサイトが登録されることがステータスだったそうな
有用でなくていい。
不確実でいい。
そこにしか書いてないことが知りたい。
最適解は要らない。
記事は終わりです。
※キリ番踏み逃げ禁止です。