【人生がときめく検索の魔法】「ブログは昔のインターネットに近い」と感じる、その理由

 

有用でなくていい。不確実でいい。

そこにしか書いてないことが知りたい。最適解は要らない。

 

Google検索するとき、ときめかなくなった。

 

f:id:popyon:20190803163833j:plain

 

昔はもっとこう、検索窓に言葉を入力するとき、

「何が出てくるんだろう?」といったワクワク、

ときめきがあった。

 

いまは、それがなくなってきた。

たぶん、10年以上そう思っている。

これは僕がいわゆる懐古厨というタイプで、

昔の思い出だけに囚われてしまっているからだろうか。

 

昔は検索自体が既に楽しかったけど、それがなくなった。

 

ワクワクするインターネットとは?

ブログが続いている理由のひとつに、

他の人のブログが面白い、というのがある。

その記事がためになるとか、ならないとか、

そういう点はあまり重要視していない。

 

最も重要視するのは

「書き手の顔が見えやすい」かどうか。

 

・よく使う表現や、口ぐせがある

・誰も語ってなさそうな題材について語っている

 

こういう要素があると、継続的にそのブログを訪れたくなる。

 

いまのインターネットは、情報が氾濫しすぎている。

検索しても、キュレーションサイト・アフィリエイトサイトばかりが、

検索上位に表示される。

 

「書き手の顔が見えやすい」ブログとは、どういうものだろう。

 

例えば「コンビニ お菓子」で検索するとしよう。

そうすると、昨今では「コンビニで買えるおすすめお菓子20選」みたいな記事が、

検索結果の1ページ目を占領してしまう。

こういう状況に、うんざりしているのだ。

 

僕が見たいのは、

「コンビニのPBお菓子勢力図 ~質実剛健のブルボン編~」

みたいな、ある一点に突出した骨太の記事があるブログなのだ。

  

伝わるだろうか。伝わってほしい

 

あふれる「プレーンな」情報たち

キュレーションサイトには、

・人員を大量に投入して

・文字を大量に投入して

・記事を大量に投入する

ものが多い。

情報の「広さ」は優れているんだけど、「深さ」が物足りない。

 

プレーンな味、といえばよいだろうか。

どのサイトを比べても、同じ味しかしない

 

昔のインターネットはもっと、

・書き手の顔が見えて

・勝手ながら、親近感が生まれて

距離が近い気がする

サイトが多かった。

 

昔のGoogle検索では、こういったサイトを見つけやすかった。

これは、ブログだけに限ったことではない。

 

ブログは、心地よい

ブログは、昔のインターネットに近い気がする。

ブログは、心地よい。 

 

ブログサービスを使うと、Google検索だけでは見つけづらくなった

「書き手の顔が見えやすい」ブログを見つけやすくなる。

そういう意味で、はてなのグループ機能は重宝している。

(もちろん、はてな以外のブログもよく見る)

 

これは何の根拠もなくて、

かつ偏見に満ちた表現なんだけど、 

「多くの人たちがGoogle検索でクソみたいな

”いかがでしたか?”ブログを掴まされているなか、

自分だけはニッチな記事を発信している、強烈なサイトを見つけられる」

 みたいな楽しみ方がある。 

 

いや本当に、何の根拠もなくて偏見に満ちているのだけれども。

 

以前の記事でも紹介したけど、

「遅いインターネット計画」で

じっくり読める読み物が増えてくれるといいな、と思う。

昔のインターネットを疑似体験しよう

昔のインターネットの情報をアーカイブしているサイトがある。

 

  「Wayback Machine

サイトのアドレスで検索すると、昔の状態のサイトを確認できる。

Yahoo! JAPANのトップページがオススメ。ニュースのトピックスに時代を感じる。

こういったサイトで「昔の空気感」をたまに味わってみるのもおすすめ。

 

おわりに

Google検索で望まない情報を掴まされたと思ったとき、

「インターネットがつまらなくなった」

「面白いサイトが少なくなった」

そう思ってしまいがちなところがある。

 

しかし、実際には

「検索して、見つけづらくなった」が正しいのだと思う。

 

環境に嘆くことなく、楽しめるサイトを見つけていきたい。

 

想い出はいつもキレイだけど

それだけじゃ おなかがすくわ

  

本日はここまで。

 

 

<引用>

情報の洪水の中で立ち止まれ/昔のインターネットに思いを馳せて(マヌルネコちゃんをさがしに)

そばかす/JUDY AND MARY