【我慢しない生き方】「忍耐力がなくなってきた」のは、悪いこととは限らない/合理的に選択せよ

  

人間は習慣によってなんと変わるものか!

 

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忍耐力が、なくなってきた。

 

忍耐には2種類ある。

・必要な忍耐 と、

・不要な忍耐

 

今日の記事は

不要な忍耐は切り捨てて、

必要な忍耐をしよう、という話。

 

この記事を読んでいるあなたが

いま何かに耐えているなら、理由にかかわらず、

それはとてもスゴイこと。

自身を認め、誇っていいと思う。

 

そして、理想は

「不要な忍耐」を切り捨て、

「必要な忍耐」に集中し、

成長につながるようにすることだ。

 

いま何かに耐えているなら、きっとそれができる。

 

不要な忍耐をやめるとどうなるか?

結論、ストレスが減る。

そして「必要な忍耐」に集中できる。

その結果、成長につながる。

 

詳しく話す前に、

まずはそれぞれの「忍耐」について定義しよう。

 

◆「不要な忍耐」とは

様々な捉え方があるだろうが、僕はこれを

「リターンの少ない忍耐」だと考える。

 

仕事に限定して例えると、

「嫌いな仕事だが、生活のために我慢する」

というのは、明らかにリターンの少ない忍耐。

嫌いな仕事を続けていても、モチベーションは維持できない。

成長はできるかも知れないけれど、その伸びは鈍くなりやすい。

 

嫌いなだけならまだマシで、

長時間の労働などの健康に影響する要素がある場合、

リターンが少ないだけでなく、リスクを伴っているといえる。

 

そしてこの「リターン」について、

金銭的なリターンのみを重視することは、おすすめしない。

 

「お金」は後から取り返せるけれど、

「そのときの時間」は、後から取り返すことはできない。

 

「そのときの」時間というところがポイント。

例えば、

・40年間、猛烈に働いて、莫大な貯蓄を備えたと仮定する。

・定年後に働く必要もない蓄えがあり、時間に余裕ができる。

しかし

・その頃には体力も衰え、お金があっても行動に制限がかかり

・若いときにしておけばよかったことに対する「後悔」が残る

こういうケースは、望まないだろう。

「そのときの」時間は、お金に代えられない価値がある。

 

ちなみに、僕が前職を辞めるとき、

自分自身に問いかけたことは次のとおり。

 

「いまの給与が二倍、三倍、それ以上になったとして、

 今の仕事を続けたいと思うか?」

 

答えは”NO”だった。

多忙を極めたという不満もあったけど、

何より、スキルにならない仕事であることが最も不満だった。

 

これはあくまでも一例。

「働くうえで何を最も重視するか?」

これは、人によって答えが違うと思う。

自分自身、

「譲れないものは、何か?」

この基準について、常に認識しておきたい。

 

◆「必要な忍耐」とは

これも、様々な捉え方があるだろう。僕の考えは

「自身の成長につながるか?」の問いに、

"YES"なら、それは必要な忍耐だ。 

 

僕の場合は、

「発信すること」

というのが、必要な忍耐だといえる。

 

もちろん、発信することは楽しい。

しかし、イデアが出てこないときや、

イデアがあってもうまく言語化できないときには、苦しく感じるときもある。

 

これは僕が未熟だからでもあるが、

ブログ・Twitter等である程度の量を発信しようとすると、かなりの時間を要する。

 

発信をはじめてからは、元々好きだったビデオゲームを楽しんだり、

Netflixでアニメや映画、ドキュメンタリー番組を見る時間を取りづらくなった。

 

「耐え忍ぶ」というほど、全くそれらに触れる時間が取れないわけではないけど、

それなりにしんどい。

 

長くなってしまったが、

必要な忍耐とは、成長につながることだ。

これはブログに限らず、なんでもいい。

 

いま自分がしている忍耐が

必要なものなのか?

それとも

不要なものなのか?

定期的に、自身を客観的に見て再確認するべきだろう。

 

生産性は向上する/ひとりの方が集中できる

ところで「オフィスで働かなくていい」という状態だと、

途端にパフォーマンスがよくなる。

これは僕が営業職だった頃のことだが、オフィスにいるより、

外にいるときの方が、明らかに集中できた。

オフィスにいると、どうしても集中を妨げる要素が出てくる。

例えば、これらの要素だ。 

 

・同僚や上司に、話しかけられる

・オフィスの電話が、鳴る

来客

 

前の2つは特に厄介だった。

集中するため、わざと外で仕事をすることも多かった。

ひとりでいることが増えると、次のメリットがある。

 

「話しかけられる心配がない」

「電話がかかってくる心配がない」

 

これだけで明らかに、効率的に仕事を進められるようになった。

 

前職で、やむを得ず土日出勤したとき、普段の倍は集中できた。

これは、オフィスにひとりで居ることができたから。

 

結局のところ、ひとりで仕事をするのが一番集中できる

 

もちろん、ひとりでは仕事はできない。

人と人が顔を合わせる時間は、まだまだ必要だ。

だがそれは、就業時間の全てにおいて必要とは限らない。

  

とはいえ、そんなに自由には働けない

これまでの話で

「理屈は分かるけど、実際は難しい」

と思うかも知れない。

確かに、そのとおりだ。

 

そういうときは、小さく始めれば良い

 

急に変える必要はない。少しづつ変えていけば良い。

理想は、集中できる環境に理解のある企業に勤めることだ。

難しいときは、いまの環境下でも、工夫をしよう。

徐々に、

コントロールできないことを減らしていけばよい

と思う。

 

僕は前職であまりにもオフィスの電話がうるさかったので

「いまから2時間、電話は取りません」と宣言したことがある。

(これはワガママでも何でもなくて、上司・同僚ともに理解の上の宣言だったけれど。もちろん電話を取らない分、優先度の高い業務に集中した。ちなみに、その時の僕の序列はオフィス内で一番下)

 

こういった工夫は、在職中でも不可能ではない。

 

ルールは破られるためにある。

そもそも、そういったルールがあるかどうかを

疑ってかかることも必要。

 

不要な忍耐に”NO”の意思表示をする。

それをはじめる最初のひとりとなってほしい。

 

それで不利益を被ってしまうような会社であったならば、

そこに長居する理由はないだろう。

(念のため…前職は良い会社だったとは思う。人間関係良好、有給消化100%、給与もその地域としては高水準…など。僕の退職理由はただ一点「スキルにならない」こと)

 

 

おわりに

かなり私的な話になってしまった。

「不要な忍耐を切り捨てること」

小さなものからでもいいので、試してみる価値はある。

 

何かを我慢しているとき、つい頑張りたくなるときがある。

しかし、そういうときには、

思い込みを捨てて、柔軟に考えたい。

 

そしてそれが「不要な忍耐」だったと気づいたときは、

これまで耐えていた自分を認め、褒めよう

 

そして、できれば

「必要な忍耐」にのみ集中できるようになろう。

 


<まとめ>

・不要な忍耐は切り捨てる。

・急に環境を変えなくてもいい。小さく始める。

・ルールを破れ。ルールは破るためにある。最初のひとりになれ。

・自分を認め、褒めよう。

・必要な忍耐に集中し、積み上げよう。

 

 

本日はここまで。

 

 

<引用>「ヴェローナの二紳士」/シェイクスピア