【フィルターバブル- 分断される世界】「見たいものしか見えない」ことに問題はないのか?
ほとんどの場合、人間たちは、自分が望んでいることを喜んで信じる
僕たちは守られているのか?
それとも、断絶されているのか?
フィルターバブル、という言葉がある。
アメリカの活動家、イーライ・パリサーがその自著『The Filter Bubble』で
用いた造語だ(邦訳は『閉じこもるインターネット』)。
インターネットでのレコメンド技術(フィルター技術)は、
利用者が好ましいと考える情報を優先的に提示する。
その結果、一方的な視点での情報や、興味のある情報しか入手できなくなり、
視野を広げることが難しくなる。
このことを、まるで「泡」(バブル)の中に包まれた状態に喩えたものが、
フィルターバブルだ。
Wikipedia日本語版には、このようにある。
「インターネットの検索サイトが提供するアルゴリズムが、各ユーザーが見たくないような情報を遮断する機能」(フィルター)のせいで、まるで「泡」(バブル)の中に包まれたように、自分が見たい情報しか見えなくなること。
「フィルターバブル」。
これは良いことなのか? 悪いことなのか?
守られているのか、断絶されているのか
◆1)良い面
まずは、フィルター技術の「良い面」に目を向けてみよう。
例えば、Twitter。
Twitterは、攻撃的なツイートが報告(通報)されたり検知されたりした場合に、
そのツイートを非表示にする措置があることについて言及している。
攻撃的なリプライやDMは、それを受け取った人からは
「見えない」にようになってきている。
「他人のアラを探して叩きたくてウズウズしてる連中」というのが、
自分以外、誰も見ることのない空間に呪詛を延々と吐き出す
こんなことが起こりうる。
自身にとって「不快な情報」が遮断される例については、この記事で触れている。
こういった仕組みがあるのは非常に心強い。
SNSでは心ない誹謗中傷のリプライやDMが跡を絶たない。
これまでは、それを受け取った人がミュートやブロックで対処する必要があった。
最近では、こういったことをせずとも自動で「非表示」されるよう、
仕組みが変更されつつある。
迷惑な誹謗中傷を、自動でシャットアウト。
◆2)悪い面
次に、フィルター技術の「悪い面」。
例にしやすいのは、ニュースだろうか。
フィルターバブルが進むと、あるニュースに対して、
自分と同じ意見や、考え方ばかりが検索結果に上がる
ようになる恐れがある。
こうなってくると、物事を広く捉えることができなくなり、
思考が偏りやすくなる。
どのように対策するか
有効な対策として、下記が挙げられる。
・自分の意見と合わないアカウントをフォローする
・自分と反対意見のエントリーも閲覧する
後者は特に重要だと思う。
自分の意見と同じもの、心地の良い情報だけを閲覧し続けると、
アルゴリズムに「ああ、こういった情報を求めているんだな」と
学習させることになってしまう。
良し悪しよりも「コントロールすること」が大切
フィルターバブル。
それ単体を見て「良い・悪い」を論じるよりも、
その性質を理解した上で、テクノロジーを使う自分自身を
「コントロールすること」が大事だ。
先の対策以外に、心がけたいことをいくつか。
◆自分と同じ意見を多く見つけて、満足しない
→それはフィルター技術による偏りかも知れない。意見が多いから、自分が正しいのだと、過信しないこと。
◆ユーザーの情報を記録しない検索エンジンを使う
→「DuckDuckGo」。
検索結果や過去の履歴は、検索エンジンに保存されない。
フィルター技術で偏った検索結果を得たくないときに、活用したい。
残念ながら、日本含め、利用シェアは高くない。
下記サイトでシェアを確認できる。
◆フェイクニュースに騙されても、気にしすぎない
→日々、巧妙になっていくフェイクニュース。
もし騙されることがあっても、必要以上に気にしない。
失敗を次に活かせるよう、「騙された原因」を考えてみる。
普段の生活で偏った情報ばかり見ていなかったか、振り返る。
おわりに
いつも同じことに行き着くけれど、
テクノロジーに「使われる」のではなく、
「使う」ように心がけたい。
本日はここまで。
冒頭で紹介したイーライ・パリサーのプレゼンテーションはこちら
<引用>
「ほとんどの場合…」/ガイウス・ユリウス・カエサル
「他人のアラを…」/マヌルネコちゃんをさがしに