「シングルタスク」は贅沢な体験となったのか?

もしカフェでコーヒーを飲みながら窓の外を眺めている人がいたなら、おそらくその人は静かな時間を楽しんでいるのではなく、単にスマホの充電が切れてしまったのだと考えるのが妥当だろう。

 

集中力が続かなくなった。
最初にこれを感じたのは、PCや携帯電話を使い始めてからだった。
スマートフォンを使い始めて以降は、さらにひどくなっている。
 
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結論からいうと、シングルタスクは贅沢だ。
 
あらゆる通知やコンテンツが、私たちの集中力や可処分時間を奪っていく現代。
そんな中、目の前のひとつのことに集中できる時間は貴重だ。
 
僕たちはマルチタスク機能を持つ機器― 主にPCやスマホのように、
「複数のことが同時にできる」機器を扱う。
そしてそのマルチタスクが、自分たち人間にもできると錯覚している。
しかし、人間は実際にはマルチタスクをしていない。
短時間で、作業から作業へ意識を切り替えているに過ぎない。
 
どっちつかずの意識の切り替えは、
それが生産活動であっても、消費活動であっても、
密度の高い経験になり得ない。
 
要は、集中していないということだ。 
 
もはや、現代においてシングルタスクは、
贅沢なものとなってきている。
 
本日のエントリではこの「シングルタスク」について話したい。
 
 

マルチタスクは悪影響を及ぼしやすい

 
「マルチタスクは脳に悪影響である」ということは、広く知られるようになってきた。
「マルチタスク 脳」で検索すれば、多くの意見を目にすることができる。
    
僕たちは、映画一本を観る間にさえ、
スマホに手を伸ばしたくなる誘惑と闘っている。
 

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スマホを手放せたらどんなにいいだろう、と思うこともある。
だが、それは難しいだろう。
 
インターネットはインフラと化して、スマホは人間の身体の一部となった。
自分以外の電話番号は覚えられなくなり、
ネットやスマホは、脳の外部記憶装置の役割も果たしはじめた。
 
テクノロジーの誕生以前の生活に戻ること、
ネットやスマホを生活と切り離すことは、今さら難しい。
 
だからせめて、マルチタスクの誘惑は断ち切り、
「集中する時間」を確保したい。
 
 

集中力を持続させるために

1.自分からすすんでマルチタスクをしないこと。

「考える」必要がある、2つ以上のことを同時にやろうとしない。

 個人的には、音楽を聴きながら家事する程度はセーフ。
テレビを見ながらスマホを操作するのはアウト。
 
 

 2.情報から身を守ること

情報は、僕たちをマルチタスクへと誘惑する。
スマホは最たる例で、多くの通知を発して僕たちの集中を妨げる。
通知機能は、できる限りオフにしておきたい。
 
また、仮に通知を全てオフにしたとしても、
情報を得たくなる欲求が襲ってくる。
 
「何か新しい情報はないか?」
「『いいね』がもらえたか?」
 
これらの欲求から逃れるためには、固い意志が必要になる。

 3.環境を整えること

集中する時間を確保するための理想は、何もない空間を作ること。
周りには、必要なものしか置かない。
難しければ、スマホを視界の外に置くだけでも効果がある。
 
   

  贅沢な時間を

以前のエントリで「昔は良かった」という話をしていたが、
集中さえすれば、現代のものも良い、ということに気付く。
 

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「携帯はおろか、スマホすらなかった時代」に生きているつもりで
目の前のことに集中すると、物事をもっと深く噛み締めることができる。
 
一日にひとつだけでもいいから、
自分に「それしかできない」贅沢な時間を与えたいと思う。
 
 
 記事は終わりです。
 
 
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