ワギャン思考で乗り越える「全方位から攻撃が飛んでくるインターネット」
このご時世、誰もジョークを理解しない。
みんな血を求めてる。
負け戦だよ。
何か言えば、必ず誰かの気分を害する。
今日は、あらゆる方向から攻撃が飛んでくるインターネット世界において
心がけるべき立ち振る舞いについてのお話。
結論からいうと、
「時間は有限。他人は批判せず、自分はただ積み上げましょう」
ということ。
順に見ていこう。
昨日の記事に近い話になってしまうけど、
気軽に発言できない世の中になったな、と思う。
僕たちは、何を発言するにも、
「画面の向こうの不特定多数」に配慮しなければならないと
思い込まされている。
「ワギャン思考」というのをご存知だろうか?
物事には複数の捉え方があり、決めつけることをせず、
柔軟に思考できることを指す言葉だ。 ※勝手に作った言葉です。ゴメンナサイ。
これは、ナムコのアクションゲーム「ワギャンランド」シリーズの
ミニゲーム「しりとり」に由来する。
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(ピクシブ百科事典より引用)
しりとり。それは「ワギャンランドシリーズといえばこれ」と言われる程のミニゲーム。
画面上に表示されたパネルでしりとりを行い、
規定のノルマポイントを突破すればクリアになる・・・というものなのだが、
このパネルがクセモノで、なんと、このパネルには、「裏読み」と呼ばれる、
特殊でヒトクセもフタクセもある読み方が用意されているのである。
サムネの画像で「いのしし」「うりぼう」「のぶた」「ぼたんなべ」と読める。
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現代では、ワギャン思考による「裏読み」ができない人が急増している。
物事を多角的に見ることのできない人たちは、
とかく他人の意見を否定したがる。
自分の意見こそが正しいのだと。
これは猪であって、ウリ坊ではないのだと。
とはいえ、僕もネットを見ていて、
瞬間的に他人の意見を否定したくなることがある。
そんなときはひと呼吸おいて、
「そういう考え方もあるのではないか?」と、
落ち着いて考えるようにしている。
ニュースに脊髄反射する人多すぎ問題
分かりやすいニュースは好まれる。
凄惨な報道を「消費している」自分に気づいたら、速やかに媒体から離れるべき。
議論はデータが出揃ってからでいい。
最近は特にひどいと感じるのが、ニュースサイトとそのコメント。
ニュースに被害者がいるならば、
故意・過失に関わらず、加害者に石を投げつける。
コメント欄の大半は、感情的な批判で埋まっている。
まず第一に、速報性が重視される。
見出ししか、読まない。
真偽について、ニュースの原文や、その提供元を確認しない。
その熱はそのサイト内で収まることはなく、
兎にも角にも、脊髄反射する人が増えた。
シェアに必要なハードルが低すぎることも、それを助けている。
コメントの入力は面倒に感じる人も、
リツイートなら親指の1タップで済ませることができる。
簡単に、社会的欲求を満たせる。
情報の信頼性に関しては、考慮されない。
コメントする前、シェアする前に一度立ち止まり、
「これは本当に必要なことなのか?」と
考えることは、ない。
批判する人多すぎ問題
誰かを嫌いになれるほど、人生は長くない。
冒頭でも触れたけど、いまのネットでは
気軽な発言がしづらくなった。
Twitterでは、ツイートの文脈はおろか、
前後のツイートすら確認されずに
悪者扱いされてしまうケースをよく見る。
打ち切りになってしまったけど、ne0; lation(ネオレイション)のこのシーンは本当によかった
SNS上で個人に対して攻撃したり、
フェイクニュースを拡散したりする人は、
結局のところ「自分の頭で考える」ことを放棄している。
これは完全に偏見でありワギャン思考にも反するけど、
人の批判をしている人は大抵、生産性が低い。
できることといえば、キュレーションサイトで流し見しただけの
一見、大多数の意見であるかのように偽装された
情報を、何の疑いもなく拡散したり、ドヤ顔で人に話すことくらい。
そんな「批判する人たち」は今後どうなっていくか?
答えは「消えていく」。
これは「他人を批判する人はそのうち消えるんだ」といった
根拠のない話ではなくて、もっと現実的な話。
というか、もう分断されはじめている。
例えばTwitterは、
攻撃的なツイートが報告(通報)されたり検知されたりした場合に、
そのツイートを非表示にする措置があることについて言及している。
以下、引用---
攻撃的な行為または情報操作が報告または検知された場合、その人物のツイートの公開範囲を限定する措置を講じることがあります。措置の内容については、こちらをご覧ください。一時的または永久的にアカウントを凍結したり、アカウントの機能を制限したりします。
この流れは、今後も加速していくと思われる。
将来的には「検知」の技術とスピードが向上して、
通報することすら必要なくなる時代も近いかも知れない。
そうなると、先の画像にあったような
「他人のアラを探して叩きたくてウズウズしてる連中」というのが、
自分以外、誰も見ることのない空間に呪詛を延々と吐き出す
といった状態が起こりうる。
それを想像すると、なんともいえない気持ちになる。
インターネットの世界は、浄化されていく。
もちろん「公共の利益になる」批判が
掻き消されてしまわないような仕組みは必要だが。
時間は有限。他人を批判する暇はない
他人を批判しても、自分が成長できるわけではない。
人生は短い。
僕たちは今日も一日、積み上げていこう。
記事は終わりです。