「待たない」ことのメリットについて【コントロールできることにのみ、集中する】

 

 コントロールできるのは、自分と、未来だけ。

 

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今日は「待たない」ことについての話。

 

結論から言うと、

「待たない」ように心がけると、生活する上でメリットが多い。

 

例を挙げると

・集中できる

・穏やかに過ごせる

・ひらめきが生まれる

などのメリットがある。

 

「待たない」ことの一例

<今日あったこと>

・外食に出た

・料理を待っている間、ブログを書いたり考え事をしたりしていた

・料理が美味しかった

なぜか、お店の方に謝られた

 

久しぶりの散髪を終えたのが、正午少し前。

昼食を取ろうと思い、少し歩いたところのカフェに入った。

米原産のスーパーフード「キヌア」を使った料理を提供するカフェだ。

 

僕はタコライスを注文した。

 

昨日の記事での作業環境は一通り揃っていたので、着席したらブログを書き始めた。

タブレットを取り出すまでもなく、スマホ(pixel3a)にキーボードを接続。入力を開始する。

途中、セットのスープとサラダが配膳される。

美味い。薄めの味付けで、優しい味。

化学調味料の使用を抑えてある、または一切使われていないと思われるその味は、

僕好みだった。この時点で「この店は当たりだな」と思い始める。

 

そう思ったとき、新しく来店した二人組の客が、スタッフの方に案内を受けていた。

「ただいま混雑しておりますので、お時間を頂きますがいかがなさいますか」

といった内容だったと思う。

結局、その二人組は別の店で食事を取ることにしたようだ。

 

キーボードを叩く手が止まったとき、店内に自由に読める本が置かれていたので、

それを眺めたり、ブログを書いたりの繰り返し。

 

ブログを書くことや本を読むこと、スープとサラダの美味しさに集中していたせいか、

それなりに時間が経っていたと思うが、全く「待った」という感覚はなかった。

注文から25分ほどしてからだろうか。

 

「大変お待たせいたしました」

 

メインのタコライスが配膳される。味ももちろん、申し分なし。

リーズナブルな割に美味しいなあと思いながら完食。

スタッフの方から「食後のアイスをお持ちします」との声。

メニューをよく見ていなかったけど、デザートまでついてるとは。最高。

アイスも、自家製のブルーベリージャムがついていて美味しかった。

 

会計のとき

「本日はお待たせしてしまって申し訳ありませんでした」と謝られたが、

全く問題なかった。

というか「待った」という感覚は殆どなかった。

 

前置きがものすごく長くなってしまったが、この例に見られるとおり、

日常生活においてはいかに「待たない」かが重要だ。

 

自分のコントロールできることにだけ集中する、とも言える。

 

「待たない」とはどういうことか

自分でコントロールできない待ち時間の最中にあるとき、

僕は次のようなことを意識している。

 

1.「いま自分は待たされている」という意識を持たない

 例:

 ・その感、思考を巡らせる

 ・または、あえて「ぼーっとしている状態」を作る

 (そうすると、思いがけないひらめきが得られることがある)

 

2.その時間、何かに集中する。

 例:

 ・アウトプットする(今日は、ブログを書いた)

 ・インプットする(今日は、キヌアのレシピ本を読んだ)

 

僕はこれを、レジの待ち時間のような、わずかな待ち時間にも行う。

要は、自分でコントロールできることにのみ、意識を割くということ。

 

自分でコントロールできない「待ち時間」に意識がいくと、どうなるか。

  ・イライラしてしまう

 ・イライラした結果、その後の時間を楽しめなくなるおそれがある

 

こうなってしまうと、色々とコスパが悪い。

 

待ち時間に「スマホ」はおすすめできない

 

私たちはまるで条件づけされたマウスのように、しょっちゅうスマホをチェックせずにはいられない。

 

 「待たない」=「何か別のことをする」のは有効だが、

スマホでスキマ時間を埋める」ことだけは、おすすめできない。

スマホでブログを書くなど、アウトプットに関しては別だが。

 

料理を待っているとき、電車がくるまでの間、レジ待ちの時間。

 こういうとき、ついスマホに手が伸びてしまわないだろうか。

僕はよく、その誘惑と闘っている。

 

Twitterで有益な情報が得られるかも知れないし、

興味を引くニュースが流れているかも知れない。

LINEのメッセージが届いているかも知れないし、

新着のメールが届いているかも知れない。

 

何か新しい情報を得るとき、

その情報を自分のために活かせないようであれば、

あまり意味がないと思っている。

 

それを確かめるには、一日の最後、または夜にでもいい。

自分にこう問いかけるといい。

「スキマ時間にスマホから得た情報で、何か有益なものはあったか?」

 

受動的なインプットは、あまり頭に入ってこない。

スマホから情報収集することは「能動的」ではないのか?と思うだろうか。

僕は殆どのスマホから得る情報は「受動的」なインプットだと思う。

Twitterやニュースアプリを開くとき「○○について知りたい」と思うだろうか?

実際は「ただ新しい何か」を欲しているだけであって、

情報そのものに価値を見出しているわけではない)

 

「未知に触れること」を楽しむ

もうひとつ。

もし初めて訪れる場所だったなら、なおさらスマホは使わない方がいい。

これは別に観光スポットでなくてもいい。

言葉のとおり「初めて訪れる場所」ならどこでもいい。

 

可能なら、アウトプットもやめて、

普段とは違う空間を楽しむのがよい。

(僕は今日ブログを書いていたが…)

 

理由は、スマホはいつでも見ることができるが、

その場所での体験は、そこでしかできないから。

 

今日の僕の場合でいえば

・お酒について

今回は、ラテン料理(ペルー・メキシコ・スペイン)メインに提供している

お店だったから、店内に置かれているお酒で英語のラベルは殆どなかった。

ワインのメニューや、店内の案内も日本語/スペイン語表記だったと思う。

「最近はカクテルをはじめたものの、そういえば南米の酒類は持っていないな」

と考えが巡った。

 

・言語について

スペイン語は全くと言っていいほど分からないけど、

アルファベット表記なら英語に近い単語もあるので、ある程度は推測できる。

禁煙のマークとその傍らのスペイン語を見て、

「禁煙にご協力いただきありがとうございます」と

書いているであろうことは分かった。

(自宅に戻りスペイン語の基本について調べる。よかった、合ってた…)

ペルーの公用語スペイン語であることも知らなかった。

 

・キヌアについて

初めて食べた。そもそも、存在を知らなかった。

お店にあったレシピ本で、キヌアの栄養素とその調理法などの概要を知った。

会計のとき、お店で販売していたキヌアを購入した。

「キヌアを今後の料理に活用する」

というアウトプットにつなげられそうで、満足している。

 

こういう「未知に触れること」はかなり重要だと思っている。

 

偶然を楽しむ

 余談だけど、さあ外食しようとなったとき、

「書店によって、おすすめカフェを扱った本で店を決めようかな」

とも思ったが、やめた。

そして、結果はよかった。当然、よくない結果になる恐れもあったわけだが。

今日はツイていた。

 

こういう、なにげなく入った店が当たりだと、嬉しくなる。

(なお、何ヶ月か前に書籍を参考にして言ったカフェはあまり美味しくなかったことを鮮明に覚えている)

 

ただしこれは、

・僕が今日ひとりだったことと、

・その後に予定もなかった

から、できたこと。

 

・知人と入るなら、はじめての店は避ける(冒険好きの知人であれば話は別だが)

・その後に予定があるなら、たとえ一人でもはじめての店には入らない

 こういうところは、心がけたい。

 

 

今日もストレスフリーに過ごせてよかった。

明日からも穏やかに過ごせますように。