Google検索は想像力を殺すのか?

 

人は習慣的な行動によって、特定のできごとや状況に対する反射作用を自分自身に叩き込んでいる

 

想像力を働かせる。

 

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Gackt様のマレーシア生活についての記事を見た

 

 

GACKT、知られざるマレーシア生活を初告白 

 

 

「最近テレビは一切見ないし、スマホも禁止。便利なものが多すぎて、自分で想像しなくなるから。みんな携帯に縛られているでしょう。ググらない(グーグル検索しない)ようにしています」と知られざるマレーシア生活を初告白した。

 

 

さすがGACKT様

割とマジで同意しかない

 

 

Google検索は想像力を殺すのか?

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よく言われるけど、実際はどうなのか。

 

Google検索は想像力を殺す

 

Google検索だけに限らず、検索するという行為は、

想像力・創造性に影響を与える。

これはある程度、事実かと思う。

特にスマホを手にしてから以降は、

普段の生活において「思考の放棄」をすることが多くなった。

 

 

実例:僕の場合

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僕の場合は、テクノロジーの利用比率が増えるほど、創造性は失われやすい。

 

このブログがまさに実例なんだけど、

いざ「書こう!」って思ったときに、テクノロジー(ネット)を使えば使うほど、

創造性や独創性が失われていく。

 

・ググって書いた記事には、自分の言葉が乗らない

 

改めて自分の記事を読み返してみると、このことをよく実感する。

全ての記事ではないけど、最近の記事では特にその傾向がある。

 

良くないのは、PCの前に座っても何を書こうか決まらず、

「ネタ探し」を始めるパターン。

こういうときはだいたい、「独創性に乏しい」記事になる。

 

「ぐぐれば他にいくらでも出てくる記事」

になっている自覚がある。

 

ネタを探して→書く という書き方だと、

「既知の事実の焼き直し」に過ぎないものばかり生産される。

 

 

焼き直しは避けられないこと、しかし…

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それは、工夫しない理由にはならない。


ブログでは「焼き直し」は避けられない。

 

・既知の事実の組み合わせで、何かを生み出す

・過去に生み出したものを、切り口を変えて再度発信する

 

これはブログに限らず、何かを創造するときは、常についてまわる問題。

 

何か創作する場合も、既存の作品の模倣であったり、自身の作品の焼き直しであったりといったことは、ある程度避けられない。

 

しかしそれは「焼き直しだけでよい」という意味にはならない。

 

アウトプットの上でGoogle検索は欠かせないものになりつつあるけど、

あくまでも「ツール」(=使うもの)という意識を持ちたい。

現代人はとかく「ツール」に「使われて」いる。

(分かっていてもやめられない検索癖。それが例え何も生み出さない行為だとしても)

 

 

圧倒的に足りてないこと

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インプットと、もうひとつ。

想像力が枯れたな、と思うときは、だいたい下記のふたつが理由。

 

・インプットが不足している

・アウトプット前提の「楽しむ」が不足している

 

インプットが不足している

 まず、本を読んでない。それも、驚くほど。

以前は最低でも月に2冊くらいは読んでいたはずだけど、

ここ2ヶ月くらいは全くと言っていいほど読んでない。

 

本を読むと「その本の中からアイデアが生まれる」というよりは、

「本を読んで新しく得た知識と、既存の知識の組合わせからアイデアが生まれる」

状態になるんだけど、最近はそれが全くない。

 

 

アウトプット前提の「楽しむ」が不足している

 あらゆるコンテンツを「楽しむ」時間が不足しており、

遊びの中からアイデアが生まれていない。

特に、ブログでゲームについての話題を取り上げる割には、

ゲームのプレイ時間が少ない。

 

 

息抜きするなら、アウトプットにつながるものを選ぶ

 

以前の記事で、そう述べた。

遊ぶことは創造性を育みますよ、ということを、

常に頭の中に留めておきたい。

 

 

さて、悲しいことに、この記事自体も「焼き直し」に過ぎないんだよね。

今後は、同じテーマを扱うならせめて、

以前とは違う切り口で書きたいと思う。 

 

 

本日はここまで。