【ブログについて】「自分のための記事」でモチベーションを維持する

 

気づけば、あっという間に夜。

 

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朝に構成を考えて、

昼にテキストベタ打ちして、

夜に仕上げる。

 

こんなシンプルなことが、できていない。

なぜできていないのか。

 

インプット不足

 

それも、良質なインプットが不足している。

「自分にとって有益である情報をインプットすること」

ができていないのかと。

日々、スマホで細切れ情報ばっかり取得していて、

ゆっくりと本やニュース・ブログ記事を読んでいない。

 

ブログでも何でもいいけど「発信」するために大量に時間を投下すると「インプット」がご褒美になる。
発信する前は手が伸びなかった本でも「やった!考えなくても言葉の方からこっちにきてくれる!しかも発信のネタになる!」みたいな思考で読める。以前より時間は減ったのに読書量は増える不思議。

 

インプットの不足状態が続くと、「読む」ことがご褒美になる。

読む対象はブログでも本でも、何でもいい。

 

ネタがない、というのは甘え?

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これは概ね正しいと思う。

日々多くのことが起こっているなかで、

「書くことがない」というのは、

何も考えていないのと同じ。

 

「ネタがない」と言う人は、

細切れの時間で、集中力を浪費しすぎていると思う。

まずはスマホを置いて、良質なインプットをする。

そして、あまり考えず書き進めてみよう。

 

「見た目」は二の次

ときには記事の見た目や構成、

「人の役に立つ記事」なんてことは全部無視して、

心のままに書き続けることが必要。

いまこの瞬間にも、キーボードをすすめている。

記事の見た目や読みやすさなんて、気にしない。

キーワードを決める。

記事の構成はテンプレートに従う。

結論→根拠→まとめのように。

そういったことが「最適解」であることは分かっているんだけど、

書いてる自分が楽しくない。

 


モチベーションが大事

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「記事は自分のために書かない」ことが正しいのは分かっている。

分かっているけど、それでもあえて自分のために書く。

完全に、自分のための記事を。

「役に立つ記事を書かないといけない」義務はない。

有名なブロガーさんも言っている。

 「ブログ論は捨ててよい!」ということを。

この記事は何回も読んでる。記事が思うように書き進められないとき、よくお世話になる。

 

文字数も気にしなくていい

ここまで書いて、まだ1000文字に到達していない。

人のために記事を書こうとすると、

2000文字でも3000文字でも文字数が足りなくなる。

文章を削る必要が生じることも多い。

一方、自分のために記事を書くと、文字数が少なくなる。

言いたいことだけ書き殴っても、大した文字数にはならない。

 

でも問題ない。

自分のための記事だから。

 

人のために書くと個性が失われる

これは本当だと思う。

狙うキーワードを決めて、

「読まれる」ための構成にすると、途端に個性が失われる。

読まれるためには、どうするか。

・まずキーワードを決める
・結論→根拠→まとめの順で書く

 

この構成にすること。

分かっているけど、あえてそれをしない。

「別に結論から書かなくてもいい」と思ってるし、

キーワードも、自分の好きに決めていい。

 

関連キーワード取得ツール(仮名・β版)

 

キーワードを決めるにあたって、このツールを使う人も多いと思うが、

そんなもんは無視していい。好きに書いて良いのだ。

 

どんなブログを好むか

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好んで読むブログには共通点がある。

 

オリジナリティがあるかどうか

 

本当に、この1点だけ。

「自分の興味のある話題かどうか」は、

実は、あまり関係ない。

 

記事の見た目もあんまり気にしていない。

 

はてなブログといえば、この人が有名だと思うけど、なんかもう、圧倒的な存在感とオリジナリティだよね。本日公開された、はてなの寄稿記事は必見。

 

改めて

「記事は、自分のために書いていい」。

 

自分しか読まないだろ、と思っていても、

案外と読まれるもの。

 

さて、そこそこの文字数(1600文字)になった。

申し訳程度に見た目を整えて、

本日はこのへんで。