【失われた集中力】「読むこと」「書くこと」への没入を取り戻す
昨日の新聞の見出しは
風に吹き飛ばされ
昨日の人々は
結局
注意力散漫
そうなればどんな馬鹿だって
穴をみつけてあら捜しぐらいできる
同じ壁にぶつかる。
相変わらず「集中できない悩み」と、闘っている。
「読むこと」と「書くこと」に没入できなくなっている。
テクノロジーのせいにするのは簡単だが、それだけでは解決しない。
もはやテクノロジーを拒絶しては生きていけないなら、
悩むたびに、解決策を考えるしかない。
すぐに脱線する
書物なり、長い文章なりに、かつては簡単に没頭できた。物語のひねりや議論の転換にはっとしたり、長い文を何時間もかけて楽しんだりしたものだ。いまではそんなことはめったにない。一、二ページも読めばもう集中力が散漫になってくる。そわそわし、話の筋がわからなくなり、別のことをしようとしはじめる。
「読むこと」に集中できない。
図書館から借りてきた本は積み上がり、挟んだしおりは進まない。
ここ最近に購入した推理小説は、2冊とも1ページも読まれないままになっている。
以前にも話題にしたが、マルチタスクが良くない。
読みながら、ついスマホやPCに手が伸びる。
そこでは簡単に、脳に刺激を得ることができるから。
没入するまでに、多くの時間を必要としない。
「没入」といっても実際には、蓄積されない「フロー情報」を大量に浴び続けるだけだが。
「読むこと」は思考を深めるが、没入できるまでに時間がかかる。
「書くこと」にしても、同様だ。
特に、はじめからPCを使うと没入しづらい。
PCでブログを書いていると、つい脱線して別のことをしてしまう。
いまは必要のないサイトを見てしまったり、動画を見てしまったり。
ひどいときは、ゲーム機に手が伸びる。
気づいたら、1~2時間が経過している。
時と場所に合わせる
「書くこと」に没入するためには、仕組みを使う。
ブログを書くときは、
「状況と時間帯により、書く方法を変える」ことにしている。
「書く方法」は次の3つに分ける。
・手書き
・タブレット+Bluetoothキーボード
・デスクトップPC
下に行くほど、文字入力のスピードは速くなる。
その代わり、初めからPCを使うと、
先に述べた通り「脱線」してしまい、時間を浪費してしまう。
それを防ぐため、次のように順序立てる。
・朝:「手書き」でブログのあらすじを立てる
・昼:空き時間に「タブレット+キーボード」で、本文のテキストをベタ打ちする
・夜:「PC」で清書して、体裁を整えてUPする
・朝:「手書き」でブログのあらすじを立てる
朝の時間帯は、ノートに手書きする。
調子の良いときは、書き始めたら止まらなくなるし、
手が止まってしまっても、メリットがある。
「自分が何を知っていて、何を知っていないのか」が、
ディスプレイとキーボードに向かっているときより鮮明になる。
私たち人間は、感覚によって肉体的な刺激を受ける必要がある。つまり、視覚、嗅覚、味覚、触覚、聴覚によってね
まだまだ紙は必要だと感じる。
手書きはタイピングの入力スピードには及ばないが、思考の広がり方が違う。
「何かを決断するエネルギー」が有り余っている朝には、手書きが最も良い。
◆昼:「タブレット+Bluetoothキーボード」で止まらず書き進める
書き出したら、あまり、立ち止まらないで、どんどん
先を急ぐ。こまかい表現上のことなどでいちいちこだわり、
書き損じを出したりしていると、勢いが失われてしまう。
全速力で走っている自転車は、少しくらいの障害をものともしないで直進できる。
ところがノロノロの自転車だと、石ころひとつで横転しかねない。速度が大きいほどジャイロスコープの指向性はしっかりする。
タブレットを、ほぼ「エディタ」専用で使っている。
PCのように素早くタスクを切り替えることがないから、入力に集中しやすい。
◆夜:「デスクトップPC 」で清書する
おおよそ下書きは完了しているので、あとは誤字や脱字を修正し、
前後を入れ替えたり、体裁を整えたり、画像を挿入したりするだけ。
おわりに
言い訳にしかならないが、ブログを書くことに意識を向けすぎて、
読書の時間をうまく捻出できていない。
「書くこと」をもっと効率よく進めて、「読むこと」に集中する時間を確保したい。
振り返りが足りていないので、早急に対策したい。
本日はここまで。
<引用>
「昨日の新聞の…」 Radiohead/『Scatterbrain』(Hail to the Thief収録)
「書物なり…」 ニコラス・G・カー『ネット・バカ(原題:THE SHALLOWS)』
「私たち人間は…」 マリア・セブレゴンディ(モレスキンの共同創始者)
「書き出したら…」 外山滋比古『思考の整理学』