情報との「離れ方」について/感情の「可視化」がもたらしたもの

つまり、VR/AR/MRやBMIが発達していくと、人間は「現実」そのものを選択できるようになる可能性が高いです。いくつかの現実のチャンネルを切り替えて、自分が最も居心地が良い世界を自分にとっての「現実」と選択するようになります。

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心を乱される「タイミング」というものが存在する。

心が乱れると、普段はできていることが、できなくなる。

事件・事故・災害の報せが、その状態を引き起こしやすい。

 

今日の記事は

「情報との離れ方」について。

 

結論から言うと、

「小さな単位で情報を遮断すること」

をおすすめする。

 

感情の「可視化」がもたらしたもの

数日前、こんな記事を書いた。

 

この記事で僕は、現代のネットで多く見られるコメントやシェアについて、

次のように述べている。

 

 コメントする前、シェアする前に一度立ち止まり、

「これは本当に必要なことなのか?」と

考えることは、ない。

 

分かりやすいニュースは好まれる。
凄惨な報道を「消費している」自分に気づいたら、速やかに媒体から離れるべき。
議論はデータが出揃ってからでいい。

   ※記事では引用符に囲まれていたが、実は、僕自身の言葉。

 

ここでいう「分かりやすいニュース」というのは、

善悪がはっきりしているニュースを指す。

そういったニュースには、人の関心が集まりやすい。

なぜなら、言及しやすいから

 

世界の複雑な情勢が絡む国際ニュースよりも、

国内における加害者・被害者の構図が分かりやすい事件・事故の方がコメントが集まりやすい。

 

ニュースサイトやTwitterでは、

多くの人々の言葉が目に入ってくる。

 

閲覧数が多くなれば、サイトの上位にそのニュースが表示されるし、

コメントが多くなれば、コメント数は赤字で表示され、

言及されている数が多くなれば、トレンドの上位に表示される。

 

この仕組みができたのは、ネットがソーシャル性を持ち始め、

人々の声や感情が「可視化」されるようになってからだ。

 

トレンドを追う、という点での利便性は増した。

しかし、その副作用として僕たちは、

自分の心を乱されやすくなるというリスクを負った。

 

ネットの言葉には感情が伴い、その感情は、

容赦なくこちらの心の中に入り込んでくる。

 

架空の物語において「人の心の声が聞こえてしまう」という

特異な体質を持ったキャラクターが出てくることがあるが、あれに近いものがある。

 

それでは、僕たちはどのようにして、

押し寄せてくる言葉と感情から自分を守ればよいのか? 

 

情報から距離を置く。小さな単位でもいい。

できれば、ネットから距離を置くことが望ましい。

とはいえ、それを完全に断つというのも難しい。

ネットはもはや、生活する上で欠かせないライフラインとなっている。

 

おすすめしたいのは、 

小さな単位で情報を遮断する

ことだ。

 

例えば、Twitterのトレンド機能の設定を変更する。

先日の記事でも書いたが、トレンドの地域を日本以外に設定することをおすすめする。

 

他には、特定のワードをミュートする。

リンクを貼るまでもないと思うが、念の為。

 

可能であれば、Twitterを使うのを一時的にやめた方がいい。

僕の場合は利用頻度が高いので難しいが…意識的に利用時間を減らすことはある。

 

ここまでTwitterの話ばかりになってしまったけど、

ニュースサイト(またはアプリ)に関してもいくつか。

 

PV数の多い記事はサイトのトップに表示されやすい。

注目を集める出来事がネガティブな話題のときは、

できるだけ見ないほうがいいのだが、

ニュースサイトを全く見ないというのも難しい。

ただし1点だけ。Yahoo!ニュースのアプリだけはおすすめしない。

コメント数が赤く表示され、コメント欄は大抵、

感情的で極端なコメントで埋まっている。

 

「テレビは馬鹿が見るもの、いまはネットを見るべき」はもう昔の話。

インターネットは、TVのワイドショーの2軍と化している。

 

もう一度言う。

 

凄惨な報道を「消費している」自分に気づいたら、速やかに媒体から離れるべき。
議論はデータが出揃ってからでいい。

 

おわりに

そう、ほとんどの人は、何故だか知らないけど、他人の干渉を受けたがっている。でも、それは、突き詰めれば、自分の満足のためなんだ。他人から誉められないと満足できない人って多いだろう? でもね……、そういった他人の干渉だって、作り出すことができる。つまり、自分にとって都合の良い干渉とでもいうのかな……、都合の良い他人だけを仮想的に作り出してしまう。
子どもたちが夢中になっているゲームがそうじゃないか……、自分と戦って負けてくれる都合の良い他人が必要なんだ。でも、都合の良い、ということは単純だということで、単純なものほど、簡単にプログラムできるんだよ

 

ここ数日のエントリでは

現代の「速すぎるインターネット」が与える影響について述べてきたが、

今回は改めてそのことを強く考えさせられた。

 

今回、僕が提案したことは

「見たいものしか、見ない」だが、それが全て正しいとも思っていない。

 

思うに、現実を見ないことも駄目だし、

現実を見すぎて、極端な発言や行動をするのも望ましくない。

 

要は、バランスが必要ということだ。

 

記事は終わりです。

皆さんが心穏やかに過ごせますように。