『デリバリーおじさん』に学ぶ「前向きに生きる」コツ/「自分自身」に許可をする

 

なにかを始めるって大変なことだから

小さなことで早めに手に入れるんです

『出来る』という感覚

前向きに生きる最高の薬をね

 

自分自身に、許可をする。

 

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小さな成功体験を積み重ねる。

何かを成し遂げるための「魔法」など存在しない。

ただ、積み重ねるだけ。

 

最初の一歩が踏み出せない

 

エントリのタイトルにも入っている『デリバリーおじさん』。

集英社が配信するウェブコミック配信アプリ(またはサイト)の

『少年ジャンプ+』で読める。

 

『デリバリーおじさん』。

 

なんか字面だけ見ると怪しい響きなんだけど、これが読んでみてびっくり。

 

メッッチャ、良い。

 

って思ったのが先週。そして今週の2話がこちら。

 

 

1話もかなりよかったけど、今回の2話は、

より多くの人から共感を得られそうなテーマだな、と思った。

 

2話のあらすじはこんな感じ。ーーーーー

「デリバリーおじさん」。依頼者に呼び出された先で、様々な「頼まれごと」をする仕事。主人公の佐々木浩平(以下おじさん)は、ある女子大生からの依頼を受ける。依頼先に到着したおじさんだが、到着早々に女子大生の美沙から「キャンセルでお願いします」と言われてしまう。面食らうおじさんだが、美沙の友人である千春が依頼主だと分かり、そのまま依頼を続行することに。依頼内容は「部屋の掃除」。

『この部屋はモノが多すぎるだけ 言うほど「汚れている」ワケじゃない』

そう言うおじさんは、まずひとつの引き出しだけを整理するよう美沙にすすめる。ーーーーー

 

この話の中で、冒頭に引用した言葉が出てくる。

 

なにかを始めるって大変なことだから

小さなことで早めに手に入れるんです

『出来る』という感覚

前向きに生きる最高の薬をね

 

本当にその通りだと思う。

このブログでも度々この言葉を使うけれど、

「まずは、小さくはじめる」

ことが、生きるうえで大切なんだよね。

 

何かを始めたいけれど、最初の一歩が踏み出せない。

このことを考えたとき、

 

・失敗が怖い

・もっと学んでからはじめたい

 

こういう思考になってしまいがちになる。

でも、はじめから完璧を目指そうとすると、何もできない。

まずは、踏み出さなければはじまらない。

  

「自分」がどうありたいのか?

 

「自分は、何が好きなのか?」

「自分が、どうありたいのか?」

 

『デリバリーおじさん』2話では、これらについて考えさせられる。 

そしてもうひとつ大切なこと。

 普段から意識はしているが、つい忘れがちになってしまうこと。

 

「他人の評価軸」に振り回されないこと。

 

生きるうえでは多くの「雑音」が、

自分の内の声を掻き消そうとしてくる。

そんな雑音に屈することなく、進んでいきたいと思う。

 

特効薬を持っておく

 

「雑音」に屈することなく進んでいても、うまくいかないことはある。

そんなときは、気持ちを切り替えるために、

好きなものを食べたり、好きなことを楽しんだりする。

 

こういった、

物理的だったり精神的だったりする「特効薬」をいくつか持っておくと良い。

僕が好きな漫画「すみっこの空さん」には、次のようなセリフが出てくる。

 

自分の力ではままならないものがある時はカレーを作る

カレーは絶対に失敗しないから

まだ自分に 少しでもできることがあることを 確認できるから

言い聞かせるのだ

まだ自分は 大丈夫なのだと

  

切り替えるための"スイッチ"。

 

自分もそういったスイッチを持っている、という人も

多いのではないかと思う。

このセリフも冒頭の引用に似ているけれど、

こちらの方は、初めてのことというよりは、

「継続して努力していることで、つまづいたとき」

に適しているかな、と思う。

 

おわりに

 

引用ばかりで恐縮だが、失敗を恐れず行動するうえで、

お気に入りの言葉があるので紹介する。

 

そのうち、人間は二つのタイプに分かれることがわかってきました。自分のやりたいことを誰かに許可されるのを待っている人たちと、自分自身で許可する人たちです。自分自身の内面を見つめて、やりたいことを見つける人がいる一方で、外からの力で押されるのをじっと待っている人もいます。わたしの経験から言えば、誰かがチャンスをくれるのを待つのではなく、自分でつかみに行った方が良い面がたくさんあります。埋められるのを待っているすき間はつねにあり、チャンスが詰まった金塊は地面に転がっていて、拾われるのを待っているのです。机にばかりかじりついていないで、たまには顔をあげ、窓の外を眺めましょう。通りの向こう側や角に、何か見つかるかもしれません。でも、金塊は、それを拾おうという前向きの気持ちを持っている人のために、そこにあるものです。

 

自分自身に、許可をしよう。

 

 

本日はここまで。

 

 

『デリバリーおじさん』原作・作画の方のTwitterアカウントはこちら

 

 

<引用>

「なにかを始めるって…」/佐々木浩平(デリバリーおじさん)

「自分の力では…」/神さま(すみっこの空さん)

「そのうち、人間は…」/ティナ・シーリグ 著「20歳のときに知っておきたかったこと」

 

 

【想像力を働かせる】馬鹿のふりは頭が良い人にしかできない

 

失敗は重要ではない。自分自身を馬鹿にするのはなかなか勇気がいる。

 

その奥にある、本当の顔。

 

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「巨人の肩の上に立つ」とは良く言ったものだ。

ネットの普及で、僕たちは多くの知識を得られるようになった。

それだけでなく「多くの目を得られるようになった」とも思う。

 

 ・俯瞰する

・多角的に考える

 

 ネットが普及する前と比べて、

こういったアプローチがしやすくなったと思う。

 

ものを知らない

 

何でもは知らないわよ。知ってることだけ

 

僕自身については、本当にものを知らないな、と思う。

謙遜でも自虐でもなくて、事実としてそう思う。

何かを知るたび、自分自身の無知さを思い知らされる。

 

誰が本当に馬鹿なのか

 

「誰々は、頭が悪い」。

こういう言葉を聞くことがある。

 

よくあるのは、タレントについての話でこの言葉が出るケース。 

いわゆる「お馬鹿タレント」と世間に認識されている人がいる。

そういったタレントに対して、

「誰々って頭が悪いよね」という言葉を聞くことがある。

 

こういう話はたいてい聞き流しているが、内心では、

「あまり想像力がないんだな」と思っている。

 

「間の抜けた振る舞いや受け答えは、

 キャラクター作りや台本がもたらした演出である」

可能性に気づいていないとしたら、

誰が本当に馬鹿なのか、という点について考えさせられる。

  

馬鹿のふりは、頭が良い人にしかできない。

 

逆は容易だ。

頭の良いふりは、馬鹿にでもできる。

 

無知を思い知る

 

「実際には頭が良い」として、

割と広く知られているのはモデルのローラさんかな、と思う。

ローラさんといえば、ブラジルの大規模な森林火災について触れた、

Instagramのこの投稿が話題になっている。

 

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https://www.instagram.com/p/B1cebeglado/?utm_source=ig_web_button_share_sheet

 

 「私たちが何を食べるか、選ぶかで私たちの未来が決まります」

 

正直に言うと、その発言の意味を、

読んでからすぐに理解することができなかった。

こういうとき、自分の無知さを思い知る。

 

 

影響力のある人が、こういった

「ものを考える」ことのきっかけを作ってくれることは

有益なことだな、と思う。

 

<8/23追記>

ファクトチェックの記事が上がっている。

火災が起きている事実は変わらないが。

 

おわりに

 

何かを知るたび、自分自身の無知さを思い知らされる。

知ることは大切。一方、それと同時に、

ものごとの良し悪しをすぐに判断しないように、という点には気をつけたい。

  

何かを判断するには、情報が不足しすぎている。

そう思ったら、立ち止まって考えるようにしたい。

 

 

本日はここまで。

 

 

<引用>

「失敗は重要ではない…」/チャールズ・スペンサー・チャップリン

「何でもは知らない…」/羽川翼(<物語>シリーズ)

 

日本のニュース番組は「経過」と「結果」の報じ方を間違えている

 

何が本当に自分の利益であるか、ということを知ることは容易ではない。

 

その違和感には理由がある。

 

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テレビのニュース番組を見ているときの、違和感。

その違和感の理由を語る。

 

多くが「逆」だった

 

どうして、日本のニュースに違和感があるのか。

このことについて突き詰めて考えたとき、

ひとつの法則が当てはまることに気づいた。

 

日本のニュースに違和感がある理由。

それは、

「結果」が重要なことについて「経過」で報じて、

「経過」が重要なことについて「結果」で報じる

ということ。

  

最近のニュースを例に取ってみよう。

 

1)「結果」が重要なことについて「経過」で報じるパターン

例えば最近よく報じられている、煽り運転のニュースがこれに当たる。

 

常磐道で起きた事件が繰り返し報道されているが、

ここでは、ひとつの事件を単体で考えるのではなく、

「煽り運転」全般をひとつの対象として考える。

 

このタイプのニュースは、

「結果」を多く報道して、「経過」の報道は最小限に留めるべきだ。

ところが、それが逆になっている

「結果」と「経過」は例えば、次のようなもの。

 

◆結果

・煽り運転をしたドライバーが、逮捕された/有罪判決を受けた

・煽り運転をした場合に受ける罰則の解説

・煽り運転の対処法

 

◆経過

・ドライブレコーダーに記録された、煽り運転の映像

・容疑者の素性や、生い立ちの報道

・容疑者に対する、専門家による分析

 

ニュースが報じるべきなのは、

犯罪行為の予防・対処方法だったり、犯罪行為の抑止であるはずだ。

ところが、実際にはどうか。

確かに、対処法や罰則について報じることもある。

しかし、大部分のニュースは、

煽り運転の様子を映像で繰り返し流すことに終始している。

そして、その繰り返しに飽きさせないよう、

容疑者の素性や生い立ちを報道し、

「分かりやすい、感情の矛先」を作り出す。

 

テレビのニュースがやりたいことは「視聴者をひきつけること」であって、

犯罪への対処・罰則・法の整備について深く考えることではない。

 

 

上の記事から引用する。

だれもが無遠慮に罵倒し、石を投げてもよい存在が世間にはいつでも求められている。なぜなら「ただしくない」存在を規定し、これを糾弾・非難することによって、自分の「ただしさ」が保証されるからだ。

 

自分の正しさを証明するために、

ネガティブなニュースを消費するのはやめるべきだ。 

分かりやすいニュースは好まれる。

 

 

2)「経過」が重要なことについて「結果」で報じるパターン

先日の、参議院議員の通常選挙がこれに当たる。

このことについては、説明するまでもないだろう。

 

選挙期間中は、各政党の候補や主張についての報道が少ないのに、

選挙が終わってからやっと、特別番組を各局が放送する。

 

 

このことについては、茂木健一郎さんも触れている。

 

 

選挙期間中、毎日党首討論会が行われているわけではない。でも、選挙というのは政策をめぐる論争が不可欠なはずだ。では、どうするか。各国のまともなメデイアは、選挙活動の中での党首、候補者の発言を編集、構成して、立体的に報道する。これが常識である。

 

例えば、BBCだったら、「野党党首はこう政府の方針を批判しました」「一方、政府は、野党の批判は当たらないと反論しました」というように、選挙の現場での発言を拾って、立体的に構成する。これを毎日やる。当たり前だよね、選挙って、そういうプロセスだから。 

 

本当にその通りだと思う。

もはや開票後の選挙速報は、バラエティ番組と化している。

 

  

◆選挙特番がバラエティ化 池上無双に続きフジ・日テレも笑える議員情報に参戦

https://www.buzzfeed.com/jp/tatsunoritokushige/waraerusenkyo

 

テレビ東京が始めたこの「どうでもいい情報」で笑いを取ろうとする構成は、

他局も真似をするようになったらしい。

 

自国の将来を左右し得る「選挙」という事象についてすら、

バラエティに変えてしまう日本の放送局。

また、疑問を持たず、それを楽しむ視聴者。

もし、日本人の多くがこのことに少しでも「違和感」を持たなかったとしたら、

非常に恐ろしい気持ちになる。

この状況は「異常」であることを、多くの日本人が認識していると信じたい。

 

どうして「逆」になるのか?

  

これは、先ほども述べたとおり、

テレビのニュースがやりたいことは「視聴者をひきつけること」だから。

 

・犯罪の抑止や防止法を知らせるより、センセーショナルな映像を流す。

・投票時間を終えるまでは、政治への関心を向けさせない。

 

多くの放送局がこのような構成で番組を作り続けるのは、

「その方が、数字が取れるから」だ。

そして、残念ながら、そのような番組が多く作られるということは、

「僕たちの多くが、そのような番組を見るから」だ。

 

 

おわりに

 

多くのニュースは「経過」と「結果」の報じ方を間違えている。

これは、故意に行われている。

 

ニュースを見るとき、改めて考えてみて欲しい。

「経過」と「結果」、どちらに重きをおいているか?

そしてそれは、正しいのか? 正しくないのかを。

 

 

<引用>

「何が本当に…」/ウィンストン・チャーチル

【思考停止について】「忙しい」状態は「考えなくていい」を正当化する

 

つまり、物事には、実は、物理的なものと精神的なものがあり、精神的自由度の高さこそが、わたしたちの生産性、そして、幸福感までをも決定しているのです。

 

忙しさについて、考える。

 

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「忙しい」状態。

それは、毒にも薬にもなり得る。

忙しい状態が続くと、深い思考をするための時間が取れなくなる。

一方で、あえて忙しい状態に身を置くことで、

ネガティブな気持ちを紛らわせることもできる。

 

忙しいことは、良いことなのか? それとも悪いことなのか?

 

その忙しさはコントロールできるか?

 

忙しいことを良いこと・悪いことに区別する際、

次のように考えればよいと思う。

 

・自分でコントロールできる忙しさ

 これなら、良い。

 

・自分でコントロールできない忙しさ

 これだと、悪い。

 

自分自身に課した忙しさなら、自分でコントロールできる忙しさ。

他人から課された忙しさなら、自分でコントロールできない忙しさ。

ただし、仮にコントロールできる忙しさの中にあっても、

その中で思考停止してしまえば、意味がない。

 

「忙しい」という免罪符

 

忙しい状態は、「何も考えないこと」の、格好の言い訳として使われる。

 

「仕事が忙しい」

「家事が忙しい」

「学業が忙しい」

 

忙しい状態に身を置くと、「何も考えないこと」が正当化されやすい。

他人へ言い訳するなら、まだいい。

問題は、自分に対して言い訳ができることだ。

忙しいことを理由に、考えることをやめる。または、はじめから何も考えない。

いわゆる「思考停止」の状態は、そのときは良くても、長期的に悪い影響を及ぼす。

「このままではいけない」と感じる自分自身から発せられるシグナル、

”違和感”を、掻き消してしまう。

 

 2つの「思考停止」

 

2種類の思考停止がある。

ひとつが、短期の思考停止

もうひとつが、長期の思考停止

 

1)短期の思考停止

短期の思考停止は、

何かを考えて→悩んで→答えが出せず→手がかりすら浮かばない

このような状態の思考停止。

大抵は、今日はじめて考えたことや、ここ数日内に考えた物事が対象となる。

この思考停止の対処方法は、切り替え。

10分悩んで答えが出ない場合は、別のことをする。

 

君たちの賢い頭で10分以上真剣に考えて埒が明かないのであれば、

そのことについて考えることは一度止めたほうがいい。

それはもう悩んでしまっている可能性が高い。

 

忘れてはいけないのは、

答えが出なかった問題に対して、後でもう一度考えること。

これをしなかった場合、長期の思考停止へと移行する。

 

2)長期の思考停止

考えなければならない問題がある。

この問題を「認識」はしているが、

肝心の「考えること」について、後回しにしている状態。

はじめにその問題について考えてから、長い時間が経過した物事が対象となる。

期間は1週間・1ヶ月・それ以上と様々だが、

期間に関わらず、「もう考えなくてもいいかな」と思い始めたら、

長期の思考停止に入ったとみなしていい。

 

「現状を維持することに精一杯で、考える余裕がない」

これは確かに良くないが、

まだ「問題を認識できている」点でマシだと言える。

この状態は、半分「長期の思考停止」に陥っている。

 

最も良くないことは、

「一度認識したはずの問題を、認識できなくなる」状態。

この状態は、完全に「長期の思考停止」に陥っている。

 

はじめは、「このままではいけない」と思う。

それが徐々に「このままでもいいかも知れない」に変化し、

そのうち、問題があったことさえ認識できなくなる

 

こうなってしまうと、手遅れになる。

自分のことを、見て見ぬ振りをしない。

自分に、嘘をつかない。

感覚を麻痺させないため、この心がけが必要になってくる。

 

「多忙」の落とし穴

 

日々忙しくしていると、「仕事をしている」気になる。

確かに、休むヒマもないほど「働いている」状態にはなっている。

しかし、「仕事をしている」とは、言い切れないことがある。

慌ただしく働いていると、さも自分が優秀で、

仕事を任され、仕事の中で成長していると錯覚しやすくなる。

こういうとき、自問すべきことがある。

「この働きは報われるか?」

雇われて働いている場合は、

確かに、評価され、給与を上げることは可能だ。

しかし、同時にこうも考える。

 

「未来の可能性を前借りして、短期的な利益を得ているだけではないか?」

 

ときには目先のお金に飛びつくことをせず、

自分の人生にとってよりよい選択は何なのか?

と考える意識が求められる。

 

またこれは、金銭的な利益に限っての話ではない。

「優秀で何度も昇進の推薦を受けるが、自身の時間を最優先するため、推薦を断る」

こういった人たちは珍しくないが、

その理由が金銭的なこと以外にあるケースが見られる。

「会社外で学びたい」「家族との時間を大切にしたい」など。

 

「成長」という言葉に飛びつかない

 

企業に勤める上でたびたび耳にする言葉、

「成長」について、僕たちは慎重にならなければいけない。

特に「成長できる」「成長すべき」といった言葉に惑わされないこと。

確かに、仕事の中で成長することは可能だ。

しかし、成長の「方向」は自由に選ぶことができない。

また、成長のものさしが「その会社内での評価」であるときは注意が必要になる。

これには、社内でのみ通用するスキルや、信用などが挙げられる。

 

「そこそこ稼げる」のも落とし穴

 

分かりやすい地雷は避けやすい。

「安い給与でこき使われる」というのは、

絶対に避けるべきものとして認識しやすい。

これに対して、厄介なのは「それなりに給与が得られる」仕事だ。

給与面での不満が少ないことは、感覚を麻痺させやすい。

好きではない仕事であっても、「まあ、いいか」と考えてしまう。

 

コントロールできる「忙しさ」に身を置け

 

記事の冒頭でも触れたように、

・自分でコントロールできる忙しさ  なら良くて、 

・自分でコントロールできない忙しさ なら良くない。

 

まず前提として、

・自分でコントロールできる忙しさ

を中心に生きること。

・自分でコントロールできない忙しさ

は排除すべきだが、すぐには難しい場合には、

徐々に減らしていくよう工夫が必要になってくる。

 

今回は仕事に関連付けての例えが多かったが、

仕事に限らず、様々なシーンで、

「忙しい」状態について、一度ゆっくりと考えてみるのもいいと思う。

 

 

本日はここまで。

 

 

<引用>

「つまり…」

どんな時代もサバイバルする人の「時間力」養成講座/小宮一慶

「きみたちの…」

イシューからはじめよ/安宅和人

「不要な無駄」と「必要な無駄」について/自分の時間を手に入れる

 

働くことは罪ではないけど、他人に利用されて、自分の時間を無駄にしないで。そのことを覚えていてほしい。

 

「無駄」について考える。

 

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無駄なことをして後悔したことは?

一方、無駄なことをしたのに良かったと思えたことは?

 

排除すべきは「不要な無駄」

 

人生には「無駄」がつきものだけど、

僕たちが排除すべきは「不要な無駄」だと思う。 

「不要な無駄」とは、自己の成長につながらない無駄のこと。

自分の意思にもとづかない「無駄」は、その殆どが「不要な無駄」になりやすい。

 

・通勤時間

・仕事上での電話

・会議

・(付き合いとしての)飲み会

 

このタイプの無駄は、排除することが理想だ。

難しければ「減らす」ように心がけたい。

 

「不要な無駄」はなぜ良くないか

 

単純に、無駄な時間になりやすい。

そして、先ほど挙げた4つの例でいうと、

程度はどうであれ、習慣的に行われる。 

 

・通勤時間 → 毎日

・仕事上での電話 → 毎日

・会議 → 場合による

・(付き合いとしての)飲み会 → 場合による

 

1回あたりの時間が少なかったとしても、積み重なると相当な時間になる。

長期的に考えたとき、コスパが悪い。

 

習慣になると、無駄であるという感覚が薄れてくる

 

先ほど述べたとおり、理想は、その無駄を排除すること。

難しいときは、少しづつ減らしていこう。

まずは「無駄」の洗い出しをする。

次に、行動を細かくリストにして、ひとつずつ無駄かどうかを検証する。

 

一方、「必要な無駄」とは

 

「必要な無駄」というと、一見、矛盾したことばに見えるかも知れない。

この「必要な無駄」には、2種類がある。

 

1)「プロフィット」のある無駄

2)「ベネフィット」のある無駄

 

プロフィットとベネフィット。

どちらも日本語にすると「利益」という意味だが、

ものすごく単純にそれぞれの違いを区別すると、下記のとおり。

 

1)「プロフィット」 = 金銭的な利益

2)「ベネフィット」 = 恩恵(金銭的なことに留まらない)

 

 

1)「プロフィット」のある無駄について

 

金銭的な利益のある無駄、という意味になるが、

厳密にいうと、「金銭的な利益を生む可能性のある」無駄のこと。

 

「無駄」といってしまうと語弊があるかも知れないけれど、

例えば次のような行動が挙げられる。

 

・現状よりも稼げるスキルを身につけるため、勉強する

・1円にもならないが、ブログ記事を書く

 

こういった行為は、金銭的な利益を生むその瞬間までは、「無駄」のままとなる。

利益を生んではじめて、無駄ではなくなる。

 

ただこの無駄の良いところは、

仮にその行動自体で金銭的な利益を得られなかったとしても、

自分自身に「知識」や「経験」が得られるということだ。

もちろん利益も得ることができれば、なおさら良い。

 

これらのことから、

「プロフィット」のある無駄は、必要な無駄といえる。

 

 

2)「ベネフィット」のある無駄について

 

これは、金銭的なものに留まらない「恩恵」をもたらす。

ほとんどは「時間」を費やすことによって、「恩恵」を得るパターン。

これも先ほどと同様、「無駄」といってしまうと語弊があるかも知れないが、

例えば次のような行動が挙げられる。

 

・気晴らしにゲームをする

・散歩する

 

こちらは先ほどの「プロフィットのある」無駄とは違い、

効果がすぐに現れやすい。

短時間のゲームプレイには、不安を除去する効果がある。

散歩することで、あたらしいアイディアを思いつく(かも知れない)。

 

 ゲームがもたらすベネフィットについては、ジェイン・マクゴニガルのプレゼンがおすすめ。日本語の字幕表示も可能。

 

欠点もある。

すぐに効果が出やすいメリットはあるけれど、

必ずしも効果が出るとは限らない。

 

それでも、この「ベネフィットのある」無駄のメリットは大きい。

意識して生活の中に取り入れていきたい。

 

おわりに

 

必要な無駄を楽しむためにも、

不要な無駄は徹底的に排除していきたい。

 

冒頭の引用文は、アメリカのシンガーソングライター

ジェームス・テイラーの曲の歌詞から引用。

 

本日はここまで。

 

 

"And try to remember that working's no cryme, just don't let 'em take and waste your time."

”働くことは罪ではないけど、他人に利用されて、自分の時間を無駄にしないで。

そのことを覚えていてほしい”

 

 

<引用>

That's Why I'm Here/James Taylor

 

朝のアウトプットはどうして捗るのか?

 

 

朝が一番、はかどる。

 

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起きてすぐにデスクに向かう。

ペンを手に取り、そのまま書き出す。

ブログに限ったことではないが、

アウトプットに最適な時間は「朝」だと思う。

 

どうして朝が最適なのか?

 

アウトプットするのに朝が最適な理由は3つ。

 

1)「雑音」が少ない

2)決断するためのエネルギーが、一日の中で最も多い

3)前日までに脳に溜まった「不要な思考」が取り除かれている

 

◆1)「雑音」が少ない

朝の時間帯は、雑音が少ない。

雑音には2種類がある。

ひとつが、物理的な雑音

もうひとつが、精神的な雑音

 

物理的な雑音:

これは、耳に聞こえる雑音。

人や動物、機械類から発せられる騒音。

話し声や鳴き声、車の走る音など。

 

精神的な雑音:

これは、耳には聞こえない雑音。

この雑音は自身から発せられる。

例えを挙げると、

「電話がかかってくるかも知れない」

「ショートメッセージ(LINEなど)がくるかも知れない」

「来客があるかも知れない」

といったもの。

 

電話やLINEに関しては、スマホをサイレントにしておけばいいのでは?

と思うかも知れない。

しかし、そうではない。

 

ここでのポイントは

精神的な雑音は、自身から発せられる という点。

スマホをサイレントにしても、

「何か通知が来ているのではないか?」という、

自身の思考はコントロールしづらい。

 

だから、朝の時間帯を選ぶ。

仮に早朝の6時だとしたら、

その時間に電話やショートメッセージがくる可能性は、

その後の時間帯と比べて格段に低くなる。

 

「通知をさせない」設定にするのは容易いが、

「相手に発信させない」設定にするのは不可能。

だからせめて、発信される可能性が低い時間帯をえらぶ。

 

 

◆2)決断するためのエネルギーが、一日の中で最も多い

人が何かを決断をするためには、エネルギーが要る。

そして、一日に決断することのできる回数やエネルギーは、限られている。

決断をする度に、脳は疲れていく。

だから、多くを決断するよりも前、一日の一番はじめの時間帯を選ぶ。

僕の場合は朝に起きるから、それが朝になる。 

 

 

◆3)前日までに脳に溜まった「不要な思考」が取り除かれている

 

朝の時間が、思考にとって黄金の時間であるのも、頭の工場の中がよく整頓されて、動きやすくなっているからにほかならない。

 

すっきり目覚めるときもあれば、少しボーッとするときもある。

でも、そのどちらであっても、朝の頭の中はクリアになっている。

前日までに脳に溜まった老廃物が、排出されている。

自分にとって本当に重要な思考だけが残っている。

前日に考えていて次の日の朝にも浮かぶ思考は、本質的であることが多い。

ただし、前日からの心配事などは例外だが。

 

朝のアウトプットは、不要な情報に心を乱されることなく、勢いで進みやすい。

なお、書き始めは「寝ぼけている状態」からでもいい。

うまく書こうと意識せず、勢いで書き進めることによって、

思いのほか良い言葉が生まれることもある。

 

朝に時間を取れない人はどうするか?

 

もしブログを書くなら、すべて書き上げる必要はない。

そもそも、朝だけで書き上げるのは非常に難しい。

できれば、アウトライン(あらすじ)は朝のうちに済ませておきたい。

おおよその輪郭さえ作っておけば、中身を足していき、書き上げやすくなる。

 

朝にやってはいけないこと

 

「重要でない決断」をすること。

具体的には、メールチェックやニュース・SNSの閲覧など。

1つのメッセージやツイート、記事などを冒頭だけでも見てしまうと、

少なくとも「読むか? 読まないか?」という「決断」が必要になる。

前述のとおり、決断は脳を疲れさせる。

「絶対に朝にやってはいけない」とまでは言わないが、

せめてアウトプットを終えてからにしたい。

 

 

おわりに

 

貴重な朝の時間は活用が難しいところだが、うまく使っていきたい。

 

なお僕の場合は「朝」だが、これが「昼」の人もいれば、「夜」の人もいる。

1)雑音が少なくて

2)まだ何も決断していない時間帯で

3)起きてすぐ

であれば、昼でもいいし、夜でもいい。

 

 

本日はここまで。

 

 

 

「なんとなく」の行動で一日を埋めないために

 

面白ければ良いんだ。面白ければ、無駄遣いではない。子供の砂遊びと同じだよ。

 

自分がいま、どの状態にあるのか?

 

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一日の終わりに、自分の行動を振り返る。

そうすると、自分の生産性の低さに絶望する。

「今日はよくできたな」と自分を褒めてあげたい日もあるが、

そうはならないことの方が多い。

 

こういう日は大抵、「なんとなく」で一日が終わっている。

 

振り返る

 

よくできなかった日には共通点がある。

「今日、何をしたか?」というシンプルな問いに、すぐに答えることができない。

 

思い出すことができても、大体が「なんとなく」の行動ばかり。

 

「ゲーム」と「読書」を比べたとき、

読書の方が有益であるとは限らない。

 

「気晴らしとしてゲームをする」ことと、

「なんとなく読書をする」を比べると、前者の方が有益な場合もある。

読書をしても学びやアウトプットに繋がらないのであれば、有益とはいえない。

 

例えば今日は30分ほど読書の時間を設けたが、

「そこから何かを得たか?」という問いに、答えるのが難しい。

一言すらも、出てこない。

 

どうやら、「本を読む」ことそれ自体にフォーカスしすぎていて、

肝心な中身を理解していなかったようだ。

 

これが小説であれば「気分転換のため」で有益といえるが、

読んだのは実用書だった。こういうときは、始末に負えない。

どうやら、選ぶ本を間違ったらしい。

何かに詰まったとき、気晴らしに近くの本を手に取ることはあるが、

そのときは多少なりとも娯楽的要素を含む本の方が良さそうだ、と学ぶ。

「なんとなく」知識を得ようとするくらいなら、

はじめからそれをしないほうがマシだと言える。

 

「なんとなく」の行動で一日の時間を埋めることのないように、

振り返りと改善が必要になる。

 

気づく

 

一日の終わりに後悔しないよう、

「なんとなく」で行動している自分に、早い段階で気づくこと

を心がけたい。

 

これは一見シンプルなようで、難しい。

「なんとなく」から起こした行動に没入してしまうと、

自分を客観的に見ることが難しくなる。

時間を浪費している事実に気づけないままとなる。

ふと顔を上げたときにようやく、思いのほか時間が経っていることに気づく。

 ただの調べ物のつもりで長時間ネットを見てしまったり、

Twitterのタイムラインを延々とさかのぼってしまったり。

 

分類する

 

「なんとなく」で一日を終えることが数日続くと、

いよいよ何か変えなくては、と焦ってしまう。

 

そういうときは、一日を通して、

自分がいま、どの状態にあるのか?

を考えるようにする。

 

自身の状態を、次の4つに分類する。

 

「インプットしている」状態

「アウトプットしている」状態

「(無意識的に)何もしていない」状態

「(意識的に)何もしていない」状態

 

客観的にみる

 

分類した4つの状態は、下記のように定義する。

 

「インプットしている」状態

→アウトプットすることを前提に、何かをインプットしている状態。

 

「アウトプットしている」状態

→これまでにインプットしたことをもとに、アウトプットしている状態。

 

「(無意識的に)何もしていない」状態

→これが「なんとなく」の状態。

 

「(意識的に)何もしていない」状態

→瞑想など。

 

4つの状態のうち、 

自分がいま、どの状態にあるのか?

行動ごとにそれを確かめることで、自身を客観的にみる。 

ただし、客観的に見ること自体が目的とならないようにする。

 

「なんとなく」で一日の終わりに後悔することが少なくなったら、

自身を客観的に見る回数も減らしていく。

あまり極端に無駄な時間を排除するのも、楽しくないから。

 無駄を愛することも必要。特に遊びに関しては。

 

本日の利用状況。

ちょっと遊びすぎた感あり。

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明日も頑張りましょう。

 

日本は好きだけど日本のメディア(主に地上波テレビ)は好きになれないという話

 

ニュースサイトの「ハフィントン・ポスト」が台頭して、人々がコンテンツを無料で影響するようになったことと、プロのジャーナリストが失業し、消えていっていることが同時に起きているのは偶然ではない。

 

日本が好きだ。

 

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でも、日本のメディア(主に、地上波テレビ)はあまり好きじゃない。

挙げだしたらキリがないのだけど、改めて欲しいことが多い。 

 

商業的な側面が強すぎる

多く挿入されるCMに留まらず、番組本編すら商業的なつくりを強めている。

・特定の企業にスポットを当てたグルメ番組

・俳優の「番宣」のためのバラエティ出演

など。

 

年齢にこだわる

あらゆるニュース(事件、事故、それ以外)において人名を報じる場合、

必ず年齢を表示する。

とにかく分類したがる。

 

まともに見られるニュース番組が少ない

朝夕のニュース番組はただのバラエティ番組だし、

NHKは政府の広報と化している。

 

 

マイノリティを「笑う」

少数派はバラエティにおいては笑いの対象となる。 

つまり、「周りと違うこと」「マイノリティであること」は笑いの対象であり、バカにする対象なのだ。これは「皆が一緒であること」という同調性を重んじる日本だからこその笑いのように思えてしまう。

 

  

 

テロップによる情報過多

テロップ表示が、「番組はこう見るものだ」ということを強制してくる。

バラエティ番組は音を消しても、おおよその内容を理解できる。

視聴者を惹き付けるため、

 

「いつ、どのタイミングでチャンネルを合わせても、番組の概要を理解しやすい」

つくりになっている。(ザッピング効果)

 

SNSの動画を転載する

いよいよ番組の制作に予算をかけなくなってきたな、と思う。

バラエティ番組や災害時の速報など。

なお災害時の視聴者からによる撮影動画を報道することは、

その速報性から「有用である」という意見もあるかも知れないが、

個人的にはこれを否定する。

 

 

この記事は、テレビ局の「怠慢」ではなく「進化」

とあるが、さすがにそれは苦しい言い訳だろうと思う。

それと、単純に思うこととして、

撮影者は、まず自身や周りの安全を確保するべき、という点がある。

 

 

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まともに国際ニュースを映像で見たいなら、

Webか新聞、海外メディアに頼るしかない。

本当になんとかして欲しい。

 

 

<引用>

「ニュースサイトの…」/アンドリュー・キーン

【脳の劣化】受動的インプットと能動的インプットについて

 

自分の脳の役割をアプリやオンラインカレンダー、追跡システム、ソーシャルメディアにどんどん任せたせいで、脳は働かないことに慣れてしまったわけです。情報の記憶や管理(電話番号やパスワードの記憶など)といった事務的な作業をぜんぶアプリに任せれば、問題を解決したり、難しいことを考えたりする時間と心のゆとりが増えると思っていたのに、皮肉にも反対の結果になってしまったんです。「テクノロジーを取り入れたら問題が解決するはずだと思いがちです。でも、そうじゃない。脳は任せれば任せるほど、仕事をしなくなるんだから」

 

脳の衰えを感じる。

 

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物覚えが悪くなった。物事に集中できなくなった。

そう感じることが増えてきた。

 

家族の電話番号を思い出せるか?

 

電話番号を覚えられなくなった。

オフィスの番号を相手に伝えるとき、自分の名刺を見ないと答えられないことが

多かったな、と思い出す。

携帯電話の番号にしてもそう。

自分の携帯電話の番号は分かっても、他の番号は思い出せない。

例えそれが家族であっても思い出せないのだから、

これはいよいよ脳みそを使わなくなってきたな、と思う。

少なくとも、近い家族の番号くらいは覚えておきたい。

  

デジタルネイティブにとって「テレフォン・ナンバー」という言葉は、

もはや使わないものとなってきた。

 

コンピュータが決めてくれる


買い物にすら頭を使わなくなった。

新刊の発売タイミングはAmazonがサジェストしてくれるし、

消耗品の買い足しタイミングについても同様に。

自分が何を欲しいと思っているのか? 自分が何を買い足すべきなのか?

答えは自分ではなく、AIが決めている。

 

 

受動的インプット

 

気づいたらスマホを手にとっている。

「情報を取りにいきたい」という意思だけがそこにある。

しかし、何の情報を取りにいきたいのか、という具体的な目的はない。

 

ニュースを見る。Twitterを見る。

本当に「見る」だけで、「読んで」いない。

「文字を認識すること」はしていても、理解をしていない。

140字以内の短い文章ですら、そこに「あるだけ」。

そこから何も学ばないし、何のひらめきを得ることもない。

 

こういう情報の受け取り方を

「受動的インプット」と呼んでいる。

 

受動的インプットをしているときに求めているのは、

「新しい情報を得ること」そのものであって、

情報から何かを得たり、生み出したりすることではない。

 

新着の情報の取得を、短時間に何度も繰り返す。

それが積み重なって、1時間、2時間と経過していることがある。

 

大量の「新着の情報」をインプットし続けても、

実のあるアウトプットは生まれない。

 

それが例え、未知の情報であっても。

 

「未知の情報なら有益である」というのは誤りで、

「未知の情報なら有益になり得る」が正しい

 

大切なのは「有益な情報をインプットすること」。

これは学びに限った話ではない。

実用書を読んで学習することも有益なインプットだし、

好きな作品を観てリフレッシュすることも有益なインプットといえる。

 

フィルタリング

 

Webで情報を得るときに厄介なのは、

「情報が、多量である」という点だ。

 

確かに、偶然から得た情報が有益になることはある。

しかし、ひとつの有益な情報を偶然得たことの裏には、

「大量の情報から、必要・不要を大量に判断する」労力が隠れている。

 

もしTwitterを使うのであれば、

・フォローは、最小限にする

・トップツイート表示にする

これは必須だと考える。

 

ツイートを見逃したくないという人は、

トップツイート表示に否定的かも知れない。

しかし、「全ての情報を知る必要はない」ことを理解していれば、

そもそも「タイムラインを追うこと」自体が

相当な時間の無駄遣いであることに気づくはず。

 

情報をふるいにかける。

情報過多の現代では必須となるスキルのひとつ。

 

能動的インプット

  

もし実のあるアウトプットを生みたいのであれば

「ひとかたまりの情報を、かみしめる」方が、よほど良い。

 「ひとかたまり」の文字数は、短くてもよい。もちろん長くても。

 

1つのツイートでもいいし、

1つのブログ記事でもいいし、

1つの新聞記事でもいい。

 

文字数としての情報量と、本質としての情報量は等しくない。

短くても本質的で有益な文章もあれば、長くても無益な文章もある。

 

そこから学びを得る、アウトプットの着想を得る。

この段階にきてはじめて、能動的なインプットといえる。

 

おわりに

 

本日のスマホ利用状況。

 

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内訳を見てみたら、Twitterを44分使っていた。

そして、得たものがあったか?

今日に関してはノー。

反省して次に活かそう。

 

 

<引用>

退屈すれば脳はひらめく

【発売8ヶ月時点レビュー】スマブラSPの良いところ/悪いところ

 

バトルの数だけドラマがある。

 

気づいたら起動してるゲーム。

 

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早くも発売から8ヶ月が経過した「大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL」。

けっこう、頻繁に遊んでいる。

前作の「for 3DS / Wii U」は、なんだかんだスマブラSPの発売直前まで

ずっと遊び続けていたし、今作も(いまのところは)よく遊んでいる。

 

改めて良い点・悪い点をまとめる。

  

今作は面白いのか?

 

この質問に答えるのは、かなり難しい。

というのも、良い点と悪い点がそれぞれ尖りすぎてて、

「面白い」「面白くない」の一言で済ませることができない。

 

実は、否定的な評価も多い

 

意外かも知れないが、このソフトには否定的な評価も多い。

Amazonのレビューは気にするなという記事を書いていながら言うのも何だけど、

スマブラSPのAmazonレビューを見てみよう。

 

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次にWiiU版。

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実は、あまり評価のよくなかったfor(Wii U版)と変わらない。

というより、実は星1の割合はforより多い。

ちなみに、僕の個人的な評価としても、WiiU版より下だったりする。

決して、スマブラSPが面白くないわけではない。

ただし、スマブラSPは突出した「良い点」と「悪い点」があり、

その不安定さから、個人的にはWiiU版より評価が低い。

非常に悩ましいところなのだが。

 

良い点

◆過去作のファイターが全員参戦していること

これは発売前からのウリであるため、当然、良い点。

 

◆キャラクターのバランスが(一応)取れていること

各キャラクターの強さのバランスが、それなりに良い。

前作ではキャラ相性が詰んでいることがあった。

例えば、飛び道具持ちに対するガノンドロフ。SPからスマブラをはじめた人にforのガノンドロフを使わせたら、あまりのラインの詰めにくさに絶望すると思う。

ちなみにバランスが「一応」取れているという考えるのには、理由がある。

個人的に今作は、

「バースト対応の技が増えたため、事故負け・事故勝ちしやすい」と思う。

「いかに強判定で、バースト対応の技を引っ掛けるか」で一発逆転を狙える

シーンが増えたため、相性的に詰んでるキャラでもそれなりに勝てるようになった。

 

◆キーコンの名前が相手に表示されなくなったこと

スマブラforでは、設定したキーコンフィグは、

プレイヤーネームとしてオンラインの対戦相手に表示されていた。

これにより、「名前欄煽り」という行為が可能になっていた。

スマブラSPからは、Switchのユーザーネームが相手に表示されるようになったため、

キーコンフィグを使って相手に不快なメッセージを表示することができなくなった。

 

悪い点

◆優先ルール

たぶん、SPのオンライン対戦において最も改善が求められる点。

現在はまだマシになった方で、発売当初は優先ルールで1on1を選択していても、

乱闘のルールで戦わされることがあった。

残念ながら、最新バージョンにおいてもストック数やステージ

(終点・戦場・ギミックあり)において、自分の好きなルールを100%通すことは

できない。

まあそれだとそもそも「優先ルール」ではなくなるのだが。

発売当初は、「このシステム、もしかしたら後から廃止されるのではないか?」と

思っていたけど、なくならないっぽい。

せめて「禁止ルール」を作って欲しかった。

「このルールに設定している人とはマッチングしたくない」を設定できるなら、

これほどの不満を生むことはなかっただろう。

 

◆アピールの廃止

オンライン対戦の「だれかと」を選んで対戦した場合、

対戦中にアピールすることができなくなった。(専用部屋では可能)

これにより、アピールの代替手段として、

しゃがみを繰り返す行為(通称:屈伸煽り)が横行する結果となった。

 

◆世界戦闘力の導入

対戦の結果によって、世界戦闘力という「数値」が目に見えるようになった。

(スプラトゥーンでいうところの「ウデマエ」にあたるもの)

このシステムについては、Amazonをはじめとした数多くのレビューで

否定的な意見が多く見られる。

対戦の勝ち負けによって戦闘力が上下するこの仕組みがもたらしたものは、

例えば下記のようなこと。

 

・切断の横行

→戦闘力が減るのを避けるため、対戦中に切断をする行為が横行した。

(切断をされると、された側の戦闘力は変動しない)

 

・魅せプレイの減少

→戦闘力を気にしすぎて、リスクを伴うがリターンの大きい行為をする

 プレーヤーが少なくなった。主に復帰阻止。

 これは体感だけど、明らかにスマブラforより減ってる。

 

・挨拶の減少

→(これはアピールが廃止されたことも大きいが)

 戦闘力を気にしすぎて、開幕で挨拶をするプレーヤーが少なくなった。

 (例えば、1回だけしゃがんだり、特定の必殺技を出す)

 例えばスマブラforでは、ガノンドロフ同士でマッチングした際、

 高確率で開幕直後に魔神拳(NB)をする挨拶が見られたが、

 スマブラSPではほぼ見られなくなった。

 

◆連戦時にキャラを変更できない

「だれかと」オンライン対戦において同じプレーヤーと連戦するときに、

前回とは違うキャラを選択できなくなった。

サブキャラで負けたときにメインを出したり、

実力差が大きいと感じたときにサブキャラに変えたり、

そういったことができなくなった。

キャラクター選択画面での駆け引きが楽しかったのだが。

 

◆メニュー画面のBGMを固定できない
スマブラforでは、サウンドテストで再生したBGMをメニュー画面で

継続して再生することができた。スマブラSPではそれができなくなった。

※対戦を始める前まではBGMを維持できるが、対戦が終わった後は、

SPのメインテーマに強制的に戻される。(聞き飽きる)

 

◆ユーザーインターフェースが使いづらい

・見た目

キャラ選択後の「Ready to Fight」の文字が非常に大きく、

見づらい上にカーソルが隠れてしまうという謎UI。

・ブロックについて

特定のプレーヤーをブロックする際、スマブラforでは対戦直後にブロック画面に

遷移できたが、今作ではできなくなった。

スマブラSPの画面遷移は下記のとおり。

メニュートップ>コレクション>戦いの記録>いっしょにあそんだ人>プレーヤーを選んで「通報」。

面倒くさすぎる。

 

◆通報できる数の制限

上記の「通報」だが、前作では少なくとも一日に3人は通報可能だったが、

スマブラSPでは一日に1人しか通報できなくなった。

 

他にも

ひとり用モードの「作業ゲーっぷり」とかフィギュア名鑑の廃止とか、

悪い点はいくらでも挙げられるんだけど、今作に限っていうと、

そこまで突っ込むのはどうなのか…と思う。

(登場キャラクターのボリュームを考慮すると、ひとり用モードに

そこまで求められない)

 

おわりに

悪い点をかなり挙げたけれど楽しいゲームであることは間違いない。

まだ発売1年経過していないし、追加要素も途中ということもあるし、

気長に楽しんでいければなあ、と思う。

ただ、できれば優先ルールだけは大型のアップデートで修正して欲しい…。

 

 

 

本日はここまで。

 


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