日本のニュース番組は「経過」と「結果」の報じ方を間違えている

 

何が本当に自分の利益であるか、ということを知ることは容易ではない。

 

その違和感には理由がある。

 

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テレビのニュース番組を見ているときの、違和感。

その違和感の理由を語る。

 

多くが「逆」だった

 

どうして、日本のニュースに違和感があるのか。

このことについて突き詰めて考えたとき、

ひとつの法則が当てはまることに気づいた。

 

日本のニュースに違和感がある理由。

それは、

「結果」が重要なことについて「経過」で報じて、

「経過」が重要なことについて「結果」で報じる

ということ。

  

最近のニュースを例に取ってみよう。

 

1)「結果」が重要なことについて「経過」で報じるパターン

例えば最近よく報じられている、煽り運転のニュースがこれに当たる。

 

常磐道で起きた事件が繰り返し報道されているが、

ここでは、ひとつの事件を単体で考えるのではなく、

「煽り運転」全般をひとつの対象として考える。

 

このタイプのニュースは、

「結果」を多く報道して、「経過」の報道は最小限に留めるべきだ。

ところが、それが逆になっている

「結果」と「経過」は例えば、次のようなもの。

 

◆結果

・煽り運転をしたドライバーが、逮捕された/有罪判決を受けた

・煽り運転をした場合に受ける罰則の解説

・煽り運転の対処法

 

◆経過

・ドライブレコーダーに記録された、煽り運転の映像

・容疑者の素性や、生い立ちの報道

・容疑者に対する、専門家による分析

 

ニュースが報じるべきなのは、

犯罪行為の予防・対処方法だったり、犯罪行為の抑止であるはずだ。

ところが、実際にはどうか。

確かに、対処法や罰則について報じることもある。

しかし、大部分のニュースは、

煽り運転の様子を映像で繰り返し流すことに終始している。

そして、その繰り返しに飽きさせないよう、

容疑者の素性や生い立ちを報道し、

「分かりやすい、感情の矛先」を作り出す。

 

テレビのニュースがやりたいことは「視聴者をひきつけること」であって、

犯罪への対処・罰則・法の整備について深く考えることではない。

 

 

上の記事から引用する。

だれもが無遠慮に罵倒し、石を投げてもよい存在が世間にはいつでも求められている。なぜなら「ただしくない」存在を規定し、これを糾弾・非難することによって、自分の「ただしさ」が保証されるからだ。

 

自分の正しさを証明するために、

ネガティブなニュースを消費するのはやめるべきだ。 

分かりやすいニュースは好まれる。

 

 

2)「経過」が重要なことについて「結果」で報じるパターン

先日の、参議院議員の通常選挙がこれに当たる。

このことについては、説明するまでもないだろう。

 

選挙期間中は、各政党の候補や主張についての報道が少ないのに、

選挙が終わってからやっと、特別番組を各局が放送する。

 

 

このことについては、茂木健一郎さんも触れている。

 

 

選挙期間中、毎日党首討論会が行われているわけではない。でも、選挙というのは政策をめぐる論争が不可欠なはずだ。では、どうするか。各国のまともなメデイアは、選挙活動の中での党首、候補者の発言を編集、構成して、立体的に報道する。これが常識である。

 

例えば、BBCだったら、「野党党首はこう政府の方針を批判しました」「一方、政府は、野党の批判は当たらないと反論しました」というように、選挙の現場での発言を拾って、立体的に構成する。これを毎日やる。当たり前だよね、選挙って、そういうプロセスだから。 

 

本当にその通りだと思う。

もはや開票後の選挙速報は、バラエティ番組と化している。

 

  

◆選挙特番がバラエティ化 池上無双に続きフジ・日テレも笑える議員情報に参戦

https://www.buzzfeed.com/jp/tatsunoritokushige/waraerusenkyo

 

テレビ東京が始めたこの「どうでもいい情報」で笑いを取ろうとする構成は、

他局も真似をするようになったらしい。

 

自国の将来を左右し得る「選挙」という事象についてすら、

バラエティに変えてしまう日本の放送局。

また、疑問を持たず、それを楽しむ視聴者。

もし、日本人の多くがこのことに少しでも「違和感」を持たなかったとしたら、

非常に恐ろしい気持ちになる。

この状況は「異常」であることを、多くの日本人が認識していると信じたい。

 

どうして「逆」になるのか?

  

これは、先ほども述べたとおり、

テレビのニュースがやりたいことは「視聴者をひきつけること」だから。

 

・犯罪の抑止や防止法を知らせるより、センセーショナルな映像を流す。

・投票時間を終えるまでは、政治への関心を向けさせない。

 

多くの放送局がこのような構成で番組を作り続けるのは、

「その方が、数字が取れるから」だ。

そして、残念ながら、そのような番組が多く作られるということは、

「僕たちの多くが、そのような番組を見るから」だ。

 

 

おわりに

 

多くのニュースは「経過」と「結果」の報じ方を間違えている。

これは、故意に行われている。

 

ニュースを見るとき、改めて考えてみて欲しい。

「経過」と「結果」、どちらに重きをおいているか?

そしてそれは、正しいのか? 正しくないのかを。

 

 

<引用>

「何が本当に…」/ウィンストン・チャーチル