【思考停止について】「忙しい」状態は「考えなくていい」を正当化する

 

つまり、物事には、実は、物理的なものと精神的なものがあり、精神的自由度の高さこそが、わたしたちの生産性、そして、幸福感までをも決定しているのです。

 

忙しさについて、考える。

 

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「忙しい」状態。

それは、毒にも薬にもなり得る。

忙しい状態が続くと、深い思考をするための時間が取れなくなる。

一方で、あえて忙しい状態に身を置くことで、

ネガティブな気持ちを紛らわせることもできる。

 

忙しいことは、良いことなのか? それとも悪いことなのか?

 

その忙しさはコントロールできるか?

 

忙しいことを良いこと・悪いことに区別する際、

次のように考えればよいと思う。

 

・自分でコントロールできる忙しさ

 これなら、良い。

 

・自分でコントロールできない忙しさ

 これだと、悪い。

 

自分自身に課した忙しさなら、自分でコントロールできる忙しさ。

他人から課された忙しさなら、自分でコントロールできない忙しさ。

ただし、仮にコントロールできる忙しさの中にあっても、

その中で思考停止してしまえば、意味がない。

 

「忙しい」という免罪符

 

忙しい状態は、「何も考えないこと」の、格好の言い訳として使われる。

 

「仕事が忙しい」

「家事が忙しい」

「学業が忙しい」

 

忙しい状態に身を置くと、「何も考えないこと」が正当化されやすい。

他人へ言い訳するなら、まだいい。

問題は、自分に対して言い訳ができることだ。

忙しいことを理由に、考えることをやめる。または、はじめから何も考えない。

いわゆる「思考停止」の状態は、そのときは良くても、長期的に悪い影響を及ぼす。

「このままではいけない」と感じる自分自身から発せられるシグナル、

”違和感”を、掻き消してしまう。

 

 2つの「思考停止」

 

2種類の思考停止がある。

ひとつが、短期の思考停止

もうひとつが、長期の思考停止

 

1)短期の思考停止

短期の思考停止は、

何かを考えて→悩んで→答えが出せず→手がかりすら浮かばない

このような状態の思考停止。

大抵は、今日はじめて考えたことや、ここ数日内に考えた物事が対象となる。

この思考停止の対処方法は、切り替え。

10分悩んで答えが出ない場合は、別のことをする。

 

君たちの賢い頭で10分以上真剣に考えて埒が明かないのであれば、

そのことについて考えることは一度止めたほうがいい。

それはもう悩んでしまっている可能性が高い。

 

忘れてはいけないのは、

答えが出なかった問題に対して、後でもう一度考えること。

これをしなかった場合、長期の思考停止へと移行する。

 

2)長期の思考停止

考えなければならない問題がある。

この問題を「認識」はしているが、

肝心の「考えること」について、後回しにしている状態。

はじめにその問題について考えてから、長い時間が経過した物事が対象となる。

期間は1週間・1ヶ月・それ以上と様々だが、

期間に関わらず、「もう考えなくてもいいかな」と思い始めたら、

長期の思考停止に入ったとみなしていい。

 

「現状を維持することに精一杯で、考える余裕がない」

これは確かに良くないが、

まだ「問題を認識できている」点でマシだと言える。

この状態は、半分「長期の思考停止」に陥っている。

 

最も良くないことは、

「一度認識したはずの問題を、認識できなくなる」状態。

この状態は、完全に「長期の思考停止」に陥っている。

 

はじめは、「このままではいけない」と思う。

それが徐々に「このままでもいいかも知れない」に変化し、

そのうち、問題があったことさえ認識できなくなる

 

こうなってしまうと、手遅れになる。

自分のことを、見て見ぬ振りをしない。

自分に、嘘をつかない。

感覚を麻痺させないため、この心がけが必要になってくる。

 

「多忙」の落とし穴

 

日々忙しくしていると、「仕事をしている」気になる。

確かに、休むヒマもないほど「働いている」状態にはなっている。

しかし、「仕事をしている」とは、言い切れないことがある。

慌ただしく働いていると、さも自分が優秀で、

仕事を任され、仕事の中で成長していると錯覚しやすくなる。

こういうとき、自問すべきことがある。

「この働きは報われるか?」

雇われて働いている場合は、

確かに、評価され、給与を上げることは可能だ。

しかし、同時にこうも考える。

 

「未来の可能性を前借りして、短期的な利益を得ているだけではないか?」

 

ときには目先のお金に飛びつくことをせず、

自分の人生にとってよりよい選択は何なのか?

と考える意識が求められる。

 

またこれは、金銭的な利益に限っての話ではない。

「優秀で何度も昇進の推薦を受けるが、自身の時間を最優先するため、推薦を断る」

こういった人たちは珍しくないが、

その理由が金銭的なこと以外にあるケースが見られる。

「会社外で学びたい」「家族との時間を大切にしたい」など。

 

「成長」という言葉に飛びつかない

 

企業に勤める上でたびたび耳にする言葉、

「成長」について、僕たちは慎重にならなければいけない。

特に「成長できる」「成長すべき」といった言葉に惑わされないこと。

確かに、仕事の中で成長することは可能だ。

しかし、成長の「方向」は自由に選ぶことができない。

また、成長のものさしが「その会社内での評価」であるときは注意が必要になる。

これには、社内でのみ通用するスキルや、信用などが挙げられる。

 

「そこそこ稼げる」のも落とし穴

 

分かりやすい地雷は避けやすい。

「安い給与でこき使われる」というのは、

絶対に避けるべきものとして認識しやすい。

これに対して、厄介なのは「それなりに給与が得られる」仕事だ。

給与面での不満が少ないことは、感覚を麻痺させやすい。

好きではない仕事であっても、「まあ、いいか」と考えてしまう。

 

コントロールできる「忙しさ」に身を置け

 

記事の冒頭でも触れたように、

・自分でコントロールできる忙しさ  なら良くて、 

・自分でコントロールできない忙しさ なら良くない。

 

まず前提として、

・自分でコントロールできる忙しさ

を中心に生きること。

・自分でコントロールできない忙しさ

は排除すべきだが、すぐには難しい場合には、

徐々に減らしていくよう工夫が必要になってくる。

 

今回は仕事に関連付けての例えが多かったが、

仕事に限らず、様々なシーンで、

「忙しい」状態について、一度ゆっくりと考えてみるのもいいと思う。

 

 

本日はここまで。

 

 

<引用>

「つまり…」

どんな時代もサバイバルする人の「時間力」養成講座/小宮一慶

「きみたちの…」

イシューからはじめよ/安宅和人