「なんとなく」の行動で一日を埋めないために

 

面白ければ良いんだ。面白ければ、無駄遣いではない。子供の砂遊びと同じだよ。

 

自分がいま、どの状態にあるのか?

 

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一日の終わりに、自分の行動を振り返る。

そうすると、自分の生産性の低さに絶望する。

「今日はよくできたな」と自分を褒めてあげたい日もあるが、

そうはならないことの方が多い。

 

こういう日は大抵、「なんとなく」で一日が終わっている。

 

振り返る

 

よくできなかった日には共通点がある。

「今日、何をしたか?」というシンプルな問いに、すぐに答えることができない。

 

思い出すことができても、大体が「なんとなく」の行動ばかり。

 

「ゲーム」と「読書」を比べたとき、

読書の方が有益であるとは限らない。

 

「気晴らしとしてゲームをする」ことと、

「なんとなく読書をする」を比べると、前者の方が有益な場合もある。

読書をしても学びやアウトプットに繋がらないのであれば、有益とはいえない。

 

例えば今日は30分ほど読書の時間を設けたが、

「そこから何かを得たか?」という問いに、答えるのが難しい。

一言すらも、出てこない。

 

どうやら、「本を読む」ことそれ自体にフォーカスしすぎていて、

肝心な中身を理解していなかったようだ。

 

これが小説であれば「気分転換のため」で有益といえるが、

読んだのは実用書だった。こういうときは、始末に負えない。

どうやら、選ぶ本を間違ったらしい。

何かに詰まったとき、気晴らしに近くの本を手に取ることはあるが、

そのときは多少なりとも娯楽的要素を含む本の方が良さそうだ、と学ぶ。

「なんとなく」知識を得ようとするくらいなら、

はじめからそれをしないほうがマシだと言える。

 

「なんとなく」の行動で一日の時間を埋めることのないように、

振り返りと改善が必要になる。

 

気づく

 

一日の終わりに後悔しないよう、

「なんとなく」で行動している自分に、早い段階で気づくこと

を心がけたい。

 

これは一見シンプルなようで、難しい。

「なんとなく」から起こした行動に没入してしまうと、

自分を客観的に見ることが難しくなる。

時間を浪費している事実に気づけないままとなる。

ふと顔を上げたときにようやく、思いのほか時間が経っていることに気づく。

 ただの調べ物のつもりで長時間ネットを見てしまったり、

Twitterのタイムラインを延々とさかのぼってしまったり。

 

分類する

 

「なんとなく」で一日を終えることが数日続くと、

いよいよ何か変えなくては、と焦ってしまう。

 

そういうときは、一日を通して、

自分がいま、どの状態にあるのか?

を考えるようにする。

 

自身の状態を、次の4つに分類する。

 

「インプットしている」状態

「アウトプットしている」状態

「(無意識的に)何もしていない」状態

「(意識的に)何もしていない」状態

 

客観的にみる

 

分類した4つの状態は、下記のように定義する。

 

「インプットしている」状態

→アウトプットすることを前提に、何かをインプットしている状態。

 

「アウトプットしている」状態

→これまでにインプットしたことをもとに、アウトプットしている状態。

 

「(無意識的に)何もしていない」状態

→これが「なんとなく」の状態。

 

「(意識的に)何もしていない」状態

→瞑想など。

 

4つの状態のうち、 

自分がいま、どの状態にあるのか?

行動ごとにそれを確かめることで、自身を客観的にみる。 

ただし、客観的に見ること自体が目的とならないようにする。

 

「なんとなく」で一日の終わりに後悔することが少なくなったら、

自身を客観的に見る回数も減らしていく。

あまり極端に無駄な時間を排除するのも、楽しくないから。

 無駄を愛することも必要。特に遊びに関しては。

 

本日の利用状況。

ちょっと遊びすぎた感あり。

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明日も頑張りましょう。