「昔のゲームは面白かった」は本当か?/いまのゲームが失ってしまったもの
はじめに
おとなも、こどもも、おねーさんも。
先日Twitterを見ていたら、
ゲームの攻略法についてのやりとりを目にした。
ソフトは、ドラゴンクエストⅡ。
そういえば、昔は友達とゲームの攻略法を教え合ってたよな、と
懐かしくなった。
インターネットが普及していない頃、
攻略法の入手ルートは
身近な友達や知り合い、雑誌や攻略本だった。
あらゆる情報に一瞬でアクセスできる現代と
それがなかった時代。
どちらが幸せなのか、決めることは難しい。
失われたものがあることは事実だ。
大人も子供も、おねーさんも。
みんなに伝えたい本エントリ。
いまのゲームが失ったものは、何か?
「昔のゲームは面白かった」は本当か?
・失われたもの:取扱説明書
あのワクワクは、もう味わえない。
いつからだろうか。
ゲームソフトに「取扱説明書」が付属しなくなったのは。
昔の説明書は分厚かった。
ゲームソフトに、操作のチュートリアルを収録するための
容量の余裕がなかったことが大きな理由だ。
データ容量が限られていた昔のゲームにおいて、
説明書は「操作の説明」以外にも、
ゲームの世界観を補完する役割も担っていた。
序盤の攻略法やコラムが載っていて、
読み物として楽しめるものが多かった。
説明書は、年々、その姿をみることが少なくなってきた。
その変化は、緩やかだった。
ゲームソフトの容量が次第に増えてくると、
説明書は徐々に薄くなっていった。
ソフトの中にチュートリアルを入れる余裕が出てきたために、
説明書に多くの情報を記す必要がなくなってきた。
時代が進むと、冊子としての説明書は少なくなっていった。
一枚の簡易マニュアルだけが付属して、より詳しいことは、
電子説明書で確認するようになった。
そして、現在。
現在は多くのゲームが、電子説明書のみとなった。
簡易マニュアルすら、付属しない。
こういうページを眺めるのが楽しいのに…
もっと言ってしまえば、
物質としてのゲームソフト自体も、少なくなってきた。
パッケージ版ではなくダウンロード版のソフトを選ぶことは、
珍しくなくなった。
・失われたもの:対人コミュニケーション
何面まで行った?
冒頭でも述べたが、
昔はゲームの攻略法を友達と教え合っていた。
雑誌の記事や攻略本に加えて、
「人との情報交換」は欠かせなかった。
現代はどうか?
インターネットがあれば、多くの攻略サイトを見つけられる。
情報量も多い。
友達に聞かずとも、検索して数分後には、
目的の情報にたどり着ける。
「ネットの先にも人がいるよ、昔と何も変わらない」。
理屈では分かるけど、寂しい。
・失われたもの:達成感
道中の景色に何も感じず、ただ山頂を目指す。
インターネットの普及、
そして集合知による膨大な攻略情報。
Wikiさえ見れば、もう迷わない。
しかも、最短距離でゴールを目指せる。
道中の「無駄」はなくなった。
とかく、効率が重視される。
取るべき行動と、そうでない行動。
すべてはネットが教えてくれる。
でもそれって、楽しいのかな。
「昔も攻略本で同じことができたんじゃ?」
分からなくもない。
でも、アクセスのしやすさが違う。
「その場ですぐに」「無料で手に入る」ネットの情報と、
「書店にいく手間がかかり」「お金がかかる」攻略本とは違う。
意思が弱い僕らは、すぐに情報に頼ってしまう。
この点は、昔もいまも変わらない。
ただ、障壁が取り払われた現代では、
僕らは、楽をしたい気持ちにブレーキをかけづらくなった。
そして僕らは、楽をすることで、
達成感を得られにくくなった。
最短距離でクリアしても、
アイテムをコンプリートしてクリアしても、
どこか満足できなくなった。
おわりに
決して、いまのゲームが面白くないわけではない。
つい、昔のゲームはよかったと言ってしまうけど
そういうときは、これを思い出すようにしている。
いつだってゲームは輝いている。